壁の先には、また新たな壁が待っている

2020 フィギュア四大陸選手権 男子SPでの演技。写真:松尾/アフロスポーツ


ちなみに、この言葉には後日談があります。衝突事故というアクシデントを乗り越え辿り着いた2014年のグランプリファイナルで2連覇を達成。続く全日本選手権でも3年連続の優勝を果たした羽生選手は、〝この壁を乗り越えた先にある景色は絶対に良いものだと思っています〟という自身のコメントを振り返るかたちで、こう話しました。

壁を乗り越えたけれど、その先には壁が見えました。
壁の先には壁しかありませんでした。
でも人間とは欲深いものだから、課題が克服できたら越えようとする。
僕は人一倍欲張りだから、何度でも越えようとするんです。
(出典:『王者のメソッド』野口美惠・著/文藝春秋・刊)

この言葉を目にしたとき、全身が痺れるのが自分でもわかりました。〝壁の先には壁しかありませんでした〟――こんな台詞、少年漫画の主人公じゃないと似合わない。だけど、羽生結弦選手だから言える。羽生選手が19回も世界記録を更新できたのも、常に自分が打ち立てたワールドレコードを、今度は自分が塗り替えようと自らを鼓舞してきたから。孤高の王者は、自分自身の背中を追い続け、キャリアを高めてきたのです。

 

私たちの生活も、いろんな壁が行く手を遮っています。その高さや厚さは人それぞれ。でも自分なりになんとかそれを乗り越えようとジタバタともがくわけです。

あともう少しで頂が見える。岩肌に手をかけ、ぐっと体を押し上げる。噴き出る汗。悲鳴をあげる筋肉。そうやって息を切らして登った壁のてっぺんで、目の前にもっと大きな壁が立ちはだかっていたら。そう簡単に、また乗り越えようという気持ちになんてなれない。むしろ年をとればとるほど、魂の火を消さず、次なる壁にぶつかっていくことの大変さがわかるから、挑み続ける彼の偉大さに涙が出るのです。

2019 フィギュア全日本選手権 男子 試合後の会見にて。写真:アフロ

でもそうやってただすごいと言っているだけじゃなくて、常に壁に登り続ける羽生選手を見ながら、少しでも自分も逆境を楽しめたらな、とも思います。今のこの試練や苦しみは、もっと自分が大きくなるための成長痛。なんで自分ばかりがこんな目にと悲嘆に暮れるのではなくて、成長の機会をつくっていただいている、と考える。とても羽生選手のようにはなれませんが、向かってくるピンチをもっと楽しめたら、こんな凡人の自分でもちょっとだけ少年漫画の主人公になれる気がします。

そんなふうに見ている人たちを勇気づけることができるのが、アスリート。羽生結弦選手もまた今、新しい壁の前に立っています。前人未到の4回転半ジャンプ。アクセルが大好きだった男の子が、ジュニアの頃からいつか跳ぶことを夢に見ていた“王様のジャンプ”です。すべてのタイトルを手に入れた王者が、もしそんな幼い頃の夢を叶える日がやってきたら。そのときはきっと私は冒頭の台詞を思い出し、勝手に胸を熱くさせることでしょう。

だけど、当の羽生選手はすぐに気持ちを切り替えて、また新しい壁に向かっているかもしれません。壁の先には、また次の壁。そんな羽生選手だからこそ、これほど多くの人たちが彼に惹きつけられてやまないのです。

2020 フィギュア四大陸選手権 男子FSにて。写真:松尾/アフロスポーツ

 

構成/山崎 恵

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