ドラマティックな滑りで人々に感動をもたらすフィギュアスケート。この競技の最大の魅力は選手の個性が全面に出たスケーティングにありますが、同時にその言葉にも選手それぞれの生き様が垣間見えます。そんなフィギュアスケーターの言葉にフィーチャーする本コラム。
第2回目に登場するのは、全日本王者・宇野昌磨選手です。スケーターとしての実力もさることながら、「課金は負けではない。手段です」といった昌磨語録が話題を呼び、名言&迷言付き卓上カレンダーが発売されるなど、天然キャラとして知られる宇野選手。ですが、その言葉を追いかけていくと、天然というパブリックイメージの裏側に秘められた、心優しき素顔が見えてきました。
マスコミへのNOから見えた、宇野選手の優しさと品性
ひとのけがをしたところを見て、そういうことは考えてはいけない。答えたくもない。
(出典:サンケイスポーツ 2017年11月17日)
艶のあるスケートはもちろんのこと、宇野昌磨選手といえば、大のゲーマーであったり、野菜嫌いの偏食家であったり、オフリンクでのマイペースなキャラクターが愛されポイント。リンクを離れてしまえば、自分がどう見られているかさほど頓着している様子もなく、新しい髪型について聞かれても「これがパーマなのかどうかもわからない。寝て起きたらこうなっていた」と答えるなど、思わず人をなごませるようなコメントが多く見られます。
そんな愛されキャラの宇野選手が、マスメディアの質問に対し、毅然とNOを突きつけたのが、冒頭の発言です。当時は、オリンピックイヤー。平昌五輪に向けて、全選手がしのぎを削る中、金メダル候補の羽生結弦選手がNHK杯の公式練習中に4回転ルッツで転倒。右足関節外側靱帯損傷という大怪我を負いました。
日本のエースのアクシデントから何か教訓を得たか。そんな記者からの意地悪な問いに、宇野選手が答えたのが、〝ひとのけがをしたところを見て、そういうことは考えてはいけない。答えたくもない〟という言葉でした。おそらく質問をした記者には、五輪のメダルを競うライバルであり、次期エースの呼び声高い宇野選手がなんと答えるか、下卑た好奇心があったように思います。
けれど、宇野選手はそんなマスコミの話題性を狙った野次馬的口車に決して乗らなかった。〝答えたくもない〟という強い言葉でその質問を終わらせました。そこに、平昌五輪への意気込みを聞かれ「平昌って韓国なんですか?」とおとぼけ発言をするのんびり屋なイメージとは別の、宇野選手の優しさと品性を感じたのです。
SNSが発達し、いろんな人がそれぞれの立場から自由に発言ができるようになりました。それ自体はいいことだと思うのですが、面白いニュースを読むと、気の利いたコメントをつけてシェアすることが日常化しているからこそ、不意に当事者でもない人間が何を語れることがあるのだろう、と後ろめたさに近い恐怖を抱くときがあります。自分の想像に及ばない他者の境地を、わかったような言葉でまとめて簡易化してはいないだろうか。その暴力性に鈍感になってはいないだろうか。それは、言葉の力が発達しすぎた現代への警鐘です。
特に経験を積めば積むほど、一丁前に知識だけは身についたような気になって、なんでも訳知り顔で語りがち。だけど、自分は本当に当事者の立場に立って考えられているのか。そもそも他者が真の意味で当事者の立場に立つことなどできるのか、と胸に問うてみれば、少なくとも私はYESとは答えられません。
その人の気持ちがわかるのは、その人だけ。だから、赤の他人が当事者の胸中を慮って同情の言葉を並べたり代弁するような行為は、たとえそれが気遣いから来るものであったとしても、決して美しいとは言えないのではないか。そう疑問に感じることもたびたびあります。だからこそ、〝そういうことは考えてはいけない。答えたくもない〟という宇野選手の言葉は、胸に突き刺さるものがありました。
宇野昌磨選手、演技や練習で見せるさまざまな表情
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