クミクミさんからの質問
Q.
お姑さんと、顔を合わせるのが嫌でたまらないんです......

夫と1歳の娘との3人暮らしから、半年前に夫の両親が住む家の隣に引っ越してきました。それからというもの、お姑さんからの干渉がどうしても気になってしまいます。娘に触れられるのも嫌で、娘がお姑さんにとられるとまで思ってしまうし、親切にされたことまでが鬱陶しくて……。

こんな最低な感情を持つ自分が嫌です。とても良いお姑さんで、いつも尊敬、感謝することばかりです。それなのに顔を合わすとダメで……。どうすればまともな感情を持ってお姑さんに接することができるでしょうか?お姑さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

尼僧 掬池 友絢さんの回答
A.
嫌いな人との出会いは必ずありますし、
その出会いにも意味はあるのです

クミクミさんは、少々、「嫌」の悪循環に陥られてしまっているのかもしれませんね。子育てに集中していますと、とかく世界が狭くなりがちなものです。他に気が散ることがないがために、何てことない周囲の人の行動が、実際以上に気になってしまうこともあるかとは思います。お悩みをお伺いして、もしかしたらクミクミさんもそのような状態に陥られていらっしゃるのかな、と感じました……。ですから、まずはそこから抜け出すきっかけを探されると良いかもしれません。たとえば少し足を伸ばして自然の景色を眺められたり、何か好きなものを食べに行かれたりして、気持ちを広げていくということをされてみてはいかがでしょうか。

仏教の”四苦八苦(しくはっく)”の中には、”怨憎会苦(おんぞうえく)”といって、恨み憎む者に出会う苦しみ、というものもあります。人は生きていく中で様々な出会いがありますが、その中には、必ず嫌いな人との出会いというのもあるものです。でもその出会いにも、意味はあるのですよ。

嫌いな人と出会うのは、「こういうことをすると人に嫌がられるのだな」と学ぶためでもあると考えられています。また、その人がなぜ自分に対して嫌なことをするのかと、人の気持ちに想像力を働かせることができるようにもなるでしょう。ですからまずは、嫌いであるということを、自分の中で素直に認めるのが良いかもしれませんね。自分の気持ちを誤魔化していますと、そのような学びを得ることもできなくなってしまうでしょうから

とは言いましても、ただ「嫌い、嫌い」と思っているだけでは自分自身が辛くなってしまいますよね。どんなに嫌いな人がいたとしても、嫌いのままでかまわないと思っている人はいらっしゃらないと思いますから。できればその人のことを好きになりたいし、仲良くもなりたいものですよね。ですから一つだけでも、「この人のここは良い」というところを見つけ出す努力をされてみてください。そこに目を向けることによって、「思っていたほど嫌な人ではないのかもしれない」と見方が変わるのではないでしょうか。

長い人生には、嫌いな人との出会いも誰しもあるものです。お姑さんを不快に感じてしまう自分をあまり責めすぎないで、ありのまの自分の気持ちを受け止め、上手くその気持ちを切り替えていってほしいと思っております。

いかがですか?
掬池友絢さんの回答、ぜひご参考になさってください。 

PROFILE
  • 掬池 友絢さん1975年生まれ。浄土宗僧侶。ILAB(国際仏教婦人会)役員。静岡県三島市にある蓮馨寺に所属。会社員として働く一方で、仏教の良さを伝え広めるべく様々な活動に取り組んでいる。蓮馨寺で「お念仏の会」や「お寺BBQ」といったコミュニティ活動をおこなう他、月に1回、寺子屋ブッダの「友絢さんとお茶を飲む会」で女性向けお話し会の講師も務めている。著書に『泣きたいときには泣いていい』(講談社)がある。 この人の回答一覧を見る
  • 山本 奈緒子1972年生まれ。6年間の会社員生活を経て、フリーライターに。『with』や『VOCE』といった女性誌の他、週刊誌や新聞、WEBマガジンで、インタビュー、女性の生き方、また様々な流行事象分析など、主に“読み物”と言われる分野の記事を手掛ける。 この人の回答一覧を見る