アメリカでは伝説のアイコンとなっている、ジョン・F .ケネディ・Jrの妻で1999年に飛行機事故で急逝した、キャロリン・べセット=ケネディをご存知でしょうか。
私の中で’90年代のおしゃれアイコンといえばケイト・モスと彼女なのに、なぜ今までこのコラムで取り上げていなかったのか、不思議なくらい。
カルバン・クラインの広報担当から、アメリカのセレブの頂点、ケネディ家に嫁いで国中の女性たちの羨望を浴びた彼女。そのシックな着こなしは、義母のジャクリーン・ケネディに次ぐファッション・レガシーとして今もなお、私たちをインスパイアし続けて止みません。
そんなキャロリンの白シャツやスリップドレスなどのベーシックアイテムを品よくスタイリッシュに着こなすセンスはもちろんのこと、気になるのは、1988年にはピープル誌の「最もセクシーな男」に選ばれたジョン・F.ケネディ・Jrを落とした、女性としての魅力と手腕。サラ・ジェシカ・パーカーやダリル・ハンナ、マドンナといったセレブたちと浮名を流したジョンの本命になれたのには、あるひとつの理由がありました。
それは、彼女がジョンとの結婚を渋ったから。
1994年にカルバン・クラインのイベントでキャロリンと出会ったジョンはすぐに彼女に魅了されましたが、キャロリンはつれなく、電話をかけても折り返して来なかったのです。
それは彼女がジョンが自分に本気なわけがないと思っていたからだそうですが、これがジョンの男としての狩猟本能に火をつけたのだと、「ケネディ家の相続人」を書いた作家、J.ランディ・タラボレッリは解説。
実はこれ、アマル・クルーニーが読んでいたという有名な恋愛マニュアル本「ルールズ」の教えに従っていたと、のちにキャロリン自身が明かしています。
賛否両論ある「ルールズ」ですが、いい女がとびきりいい男を落とすときに限っては効果がある、ということか!? モテる男性になかなか靡かないだけで本命になれるなんて、なんだかチョロすぎる気もするのですが、案外男心なんてそんなものなのかもしれないですね(笑)。
ケネディ家と関わることで自分のプライバシーがなくなることを恐れたキャロリンは、結婚したら何もかも変わってしまうのではないかと考え、ジョンとの結婚には消極的でした。その状況が変わったのは、ジョンが政治とセレブを扱った雑誌「George」を創刊したときのこと。
巨匠ハーブ・リッツが撮影した、シンディ・クロフォードがジョージ・ワシントン大統領に扮した創刊号の表紙は絶賛され、キャロリンもこれに大興奮。この成功が、ジョンが彼女にプロポーズするきっかけとなりました。
こうして婚約したふたりは、1996年9月にジョージア州のカンバーランドで挙式するのですが、そのときにキャロリンが纏ったナルシソ・ロドリゲスのストラップドレスとマノロ・ブラニクのウエディング姿は、彼女のアイコニックなスタイルとして語り継がれています。
こうしてパワーカップルとなったふたりですが、おとぎ話とは違って、王子様と結婚して幸せに暮らしました、とはならないのがリアリティの常なのか、結婚生活には様々な問題があり、キャロリンは見た目の華やかさほど幸せではなかったよう。短気で怒りっぽいジョンは婚約中に人前でキャロリンと口論になり、彼女の腕を掴んで婚約指輪を外そうとしたこともあったのです。
権力を手にしている自信に満ち溢れた男性は蓋を開ければモラハラということも往々にしてあるようですが、ジョンにもその傾向があったのかしら。結婚後、キャロリンはジョンとの子供を作ることを拒み、セックスはおろか、会話すらしなくなったそう。
そしてふたりは1999年7月、ジョンが操縦する小型飛行機の墜落事故で亡くなってしまいます。
ダイアナ元妃もそうですが、若くして悲劇的な死を遂げた美貌のアイコンは、いつまでも皆の記憶に残りますよね。次回は、彼女のファッションについてもご紹介したいと思います。
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