親子になって最初に直面したハードル


明恵さんは経営していた事業を最小限の業務に縮小して、香苗さんを迎えました。大きな喜びと覚悟とともに、始まった母親としての生活ですが、親子になってゆく過程では戸惑いや葛藤もあったといいます。

明恵さん 45歳を過ぎて急に3歳の女の子の母親になるというのは、まず第一のハードルが体力ですよね。抱っこして!と飛びついてくるのをちゃんと受け止めてあげたいから腰痛ベルトで腰を入念にガードして備えました。そして日中はなるべく公園や水族館に一緒に出掛けて、子どもとの関係性や暮らしのペースをつかんでゆきました。

覚悟が必要なのは、養子の子が一定の年齢以上だと現れるという「お試し行動」です。親への愛着が形成されるまではものすごく甘えてきたり、わがままを言ったり、してはいけないことをわざとやってはこちらの反応を試します。例えば、物や食べ物を豆まきみたいにパーンと投げてこちらを見てにや~っと笑ったり、「ママ~」って呼ばれて振り返ったら毛足の長いジュータンの上にわざと仁王立ちしておしっこしたり。そんなことが頻繁に起こります。これにはもちろん注意はしますけど、感情的にならず、根気強く付き合い続けました。 

特別養子縁組で「母になる」を諦めなかった私に娘がくれた言葉_img0
46歳で香苗さんを迎え「お試し行動」に向き合っていた頃

仕事一筋の生活から子どもがいる生活に慣れるだけでも精一杯なところ、このお試し行動が加わるわけです。最初のうちは疲れのあまり夕方になると、ぐったりとして立ち上がれないほどでした。でも、泣き言は言っていられません。もう養子縁組は成立していますから、娘の居場所は世界中でここしかないんです。彼女は必死でここを自分の居場所と受け止めようとしていたのだと思います。なので、私も受けて立つぞ!と毎日踏ん張り続けました。あの時期は、本当に心身ともに鍛えられたなと思います。

不思議なもので、そういった行動は半年くらい経つと、ぴたっと無くなりました。そして、はじめは「異分子」だった彼女の存在がまるで昔からそこにいたかのように馴染んできたんです。例えるなら、映画『クレイマー、クレイマー』の最後のフレンチトーストを作るシーン。日常の些細なやりとりがスムーズに進んでゆく感じに変化していくんです。面白いことに言葉の言い回しや仕草も私達に似てきます。家族が自然と同じような空気を纏うようになって、あぁ、私たちは親子になってきているんだなと実感するようになりました。

 


「真実」をいかに伝えるか?


養子縁組から半年で順調に愛着形成が進み、そこからは子育てをしながら働く母親としての苦楽は他の家庭と変わらないと感じた明恵さん。しかし、香苗さんが5歳の誕生日を迎える時に養子縁組ならではの試練があったといいます。産みの親の存在を告げる「真実告知」の必要があったからです。

明恵さん 一般的に特別養子縁組の子どもには物心がついてなるべく早い段階で「真実告知」をするようにすすめられています。私たちは娘の成長を見て5歳の誕生日にすると決めていました。けれど、娘がどんな反応をするのか、万が一のときは心のケアができるのか不安でたまりませんでした。その日は、朝から香苗の好きな洋服を着せてお誕生日のお祝いをたっぷりしたあと、膝に乗せて「ママね、大切な話をするね」と切り出しました。「実は香苗を産んだお母さんは病気で香苗を育てることができなかったから、育てる人を探したんだよ。パパとママはずっと香苗を探していてそれで巡り合えたんだよ」と。

それを聞いた娘は、さめざめと泣きはじめました。いくら経ってもなかなか泣き止みませんでした。私は背中をトントンしながら、気が気でありませんでした。本当のママが良かったと言われてもしょうがない、本当のママに会いたいって言われたらどうしよう?と悪いことばかりが頭を巡りました。そしたら泣きじゃくる娘から「もっと早くパパとママに会いたかった」という言葉が返ってきたんです。

色んな覚悟をしていたなかでその一言を聞いて、ほっとしました。娘は私たちのことを好きになってくれていたのだ、と。私は娘よりずっと大きな声をあげて泣いてしまいました。思えば、人生であんなに緊張したことはありませんでした。


「母になる」を諦めなかった理由


それにしても、なぜ明恵さんは母になり子育てをする家族を作ることにこだわったのでしょうか?そして母になることで得たものとは何だったのでしょうか?

明恵さん 私は母子関係に課題の多い家庭で育ちました。お前なんか産まなければよかった、と言われることもしばしばでした。それが私の人生に与えた影響はとても大きくて、克服するのにたくさんの時間と労力を要しました。だから私は自分の母とは違う母親になりたかったんです。

私は母になることを通して娘にも、自分自身にも真剣に向き合う機会を得ました。娘の成長とともに、よく自分の子ども時代を振り返るようになりましたし、人との向き合い方、自分の人生の捉え方はこれで良かっただろうか?と毎日反芻するようになりました。そうすると、様々な気づきを得ます。娘を育てることを通して、自分を育て直しているような気さえします。

もちろん、こうしたかたちで親子になる制度は、親のためにあるものでなく子どもの幸せのためにあるものですが、私自身は娘との出会いによって本当に人生が充実しました。娘も私が日々実感しているような、幸せを感じてくれているといいなと思います。
 

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Hanaさん

30代半ばまでは仕事一筋。震災を機に家族を持ってからは子育てとの両立につまづき、転勤に直面し、再就職するもコロナ退職…と一筋縄にはいかない女の人生を実体験中。
花の国、花の季節生まれ。ロストジェネレーションに花を咲かすべく負けへんで。


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