「フェア」な男女関係


「なんていうか……俺は、美穂ちゃんにあんまり無理して欲しくないんだ」

手を重ねたまま、透はゆっくりと言葉を続ける。

「今すぐ美穂ちゃんとどうこうなりたいとは本当に思ってないよ。ただ、最近すごく頑張ってるの分かるから……。その……仕事面や子育ての両立とか、これからの手続きとか……現実的にやっぱり大変だと思うし」

慎重に言葉を選ぶ彼の優しさと手の温かさが、じんわりと心に染みる。

「美穂ちゃんさえ良ければ、俺が守ってあげられる部分もあると思う。広くはないけど持ち家もあるし……。そんなに贅沢はできないけど、美穂ちゃんと息子さんだけなら、何とかなると思うんだ」

「子持ちの女に、恋愛する権利はない」40歳で芽生えた抗えない感情スライダー2_1
「子持ちの女に、恋愛する権利はない」40歳で芽生えた抗えない感情スライダー2_2
「子持ちの女に、恋愛する権利はない」40歳で芽生えた抗えない感情スライダー2_3

「急にこんなこと言われて驚くのは分かってる。でも俺もバツイチで、こんな歳だからやっぱり寂しいし、子どもも欲しかったからさ」

このとき初めて聞いたが、透は前の奥さんとは子供のことが原因で別れたそうだ。

お互い子供が望んでいたがなかなか授からず、不妊治療なども行ううちにだんだんと夫婦関係が崩れてしまった。次第に子作りから目を背け、夫婦ともに仕事に打ち込むようになり離婚に至ったという。

「自由と言えば聞こえはいいけど、離婚してからは時間を持て余して、一人で何のために生きていくんだろうってずっと思ってた。情けないけど、仕事のモチベーションまで下がったりしてさ……。でも美穂ちゃんに再会してから、ちょっと変わってきたんだ」

透にはいつも一方的に励ましてもらうばかりで、彼の過去や事情はまるで知らなかった。

常に温和な姿勢を崩さず、根気強く美穂の話を聞いてくれた透。とりとめのない話をしても愚痴をこぼしても決して否定せず、いつも美穂の心を癒してくれた。

夫に破壊され続けた自尊心が回復したのも、ほとんどは透のおかげだ。

そんな彼の胸の内を全く知らずにいたことが恥ずかしくなる。

「だから、美穂ちゃんの力になれたら嬉しいんだ。将来的に……考えてみてくれないかな」

控えめに微笑む透の顔を見ると、心が揺れた。

彼の言う通り、離婚に向けて自立を決意したものの、現実は厳しい。

これから始まる離婚調停ではまた精神的ストレスを抱えることもあるだろうし、準備や手続きも山ほどある。

同時に仕事や資格の勉強、そして湊人のケアをするのは想像以上に大変だろう。

そんな中で、透に頼ることができたなら……正直、美穂の負担は減る。けれど。

「……ごめんなさい」

美穂は唇を噛みしめ、透の手をそっと解いた。

「透さんの気持ちはすごく嬉しいし……私も同じ気持ち……だと思います」

心臓は相変わらず大きな音を立て続けているが、なるべく冷静な声で言う。

「でも……私、人に頼らないと成り立たないような生き方はもうしたくないんです。家を出てから皆に助けてもらったし、助けを求めるのは悪いことじゃないのも分かりました。だけど、この先もずっと助けられるばかりじゃ、結局同じような人生の繰り返しになるような気がして」

けれど話しながら、どうしても声が震えてしまう。

「時間はかかると思いますが、これからは私も誰かを助けたり支えたりできる人になりたいんです。透さんともフェアな関係になりたい。だから……よければ、しばらく待っていてくれませんか」

涙だけはなんとか堪えてそう言い切ると、しばしの沈黙が二人の間に流れた。

決して彼の気持ちを否定したいわけではない。けれど自分の言葉がきちんと伝わるか不安だった。

「……わかった」

しかし美穂が恐る恐る顔を上げると、透はいつもの温かみに溢れた瞳で自分を見つめていた。

「待ってる」

そして溜息混じりにそう答えると、「美穂ちゃんはずるいな。惚れ直しちゃったよ」と、再び頭を掻きながら、眉と目尻を下げて笑ってくれた。