変わり果てた、別居中の夫
面会交流の週末、貴之とは銀座で待ち合わせた。
日時や場所などの取り決めはすべて弁護士を通し、湊人を彼に預けるのは11時から13時の2時間と決めている。弁護士に同行してもらうこともできたが、悩んだ末、湊人と二人で臨むことにした。
そもそも面会交流自体を離婚調停で決める選択肢もあった。
けれど弁護士を通してやりとりを続けるうち、美穂の夫への警戒心は少しずつ緩んでいった。
というのも貴之が一度目の調停を無断欠席した理由が体調不良というのは本当だったようで、彼はきちんとした謝罪とともに胃潰瘍の診断書を弁護士に提出したのだ。
今さら素直に同情はできなかったが、夫がストレスで胃に穴を空け血を吐いたという事実を知ったときは、やはり胸が痛んだ。
そして、そのとき気づいた。
美穂は夫に報復したいわけでも、懲らしめたいわけでもない。もっと言うなら、これまで受けたモラハラや暴力を彼に認めさせ、謝罪させたいわけでもない。
かと言って夫を許せるわけでもないが、美穂が望むのは、ただ壊れてしまった夫婦関係に終止符を打ち、平和に人生を再スタートさせることだけなのだ。
できるならば貴之も美穂と同じように、この経験を糧に新しい人生を歩んで欲しいとも思う。
しかしながら、彼が湊人の父親であることは変わらない。親権を譲る気はないが、この点においては私情を挟まずフェアに接していきたかった。
◆
表参道のカフェに現れた貴之を目にしたとき、美穂は息を飲んだ。
最後に対面してから2ヶ月ほどの時間が経っていたが、彼は一回り小さくなったように痩せていて、目元や唇の血色も悪い。
仕事で数日徹夜が続いても顔色一つ変えずスーツを完璧に着こなして出勤していた頃の彼とは別人に見えた。
「湊人……」
貴之は足早に息子に寄り添い抱きしめる。美穂はその光景からつい目を逸らした。
妻に対しては滅多に冷たい表情を崩さない夫。その顔が父親らしい愛情に溢れ、温かくほころぶのを見ていられなかったのだ。
迷い、怒り、後悔、不安……不意に様々な感情が一気に押し寄せるのを唇を噛んで堪える。
「じゃあ行ってくるから……あ、カードはまだ使えるよな。好きに買い物でもしてもらって構わないから」
美穂は視線を背けたまま「はい」とだけ答えたが、身体が固まってしまったように、結局カフェの席から一歩も動けなかった。
そしてきっかり2時間後、母親の心情とは裏腹に、二人はすっかり緊張の解けた柔らかな笑顔を浮かべて戻ってきた。
「ママぁ!ただいま!!」
美穂は息子に微笑みながら、嬉しいような悲しいような、再び複雑な思いに駆られる。
「今日はありがとな。次の調停は必ず出席するから」
しかし貴之はそれだけ言うと、湊人をもう一度抱きしめ、あっさりと帰り支度を始めた。
「あの……体調は大丈夫なの?」
「ああ、もう心配ない」
彼にまた何か攻撃されるのではないかと精一杯身構えていただけに少し気抜けしたが、きっと、貴之もいい加減に疲れたのだろうと思った。
結局、争いは良いことは一つも生み出さない。
怒りや暴力を他人に向け支配するのは、相手だけでなく、同時に本人の心もすり減らすのだ。
「あ……湊人にお前のインスタ見せてもらったよ。湊人が撮影してるんだってな。よく撮れてた、綺麗だったよ」
最後に貴之はそう言い残し、静かに去っていった。
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