3月11日で東日本大震災から10年が経ちます。
皆さんは10年前のあの日、どこで何をしていましたか。また、この10年はどんな変化があったのでしょうか。皆さんそれぞれにあの日のストーリーがきっとあるのではないかと思います。
今回は、〔ミモレ編集室〕でシェアされた「東日本大震災から10年 〜あれから私は、これから私は 」についてご紹介します。
10年前のその日、私は当時10歳の娘の入院に付き添っていました。2歳の息子は私の姉に預けて。その時私は病室でウトウトしていてあの揺れが夢だったのか何なのか不思議な感覚は今も同じです。
津波で流されていく様子をテレビで見て胸が締め付けられたようになったのを覚えています。子供達も20歳と小学6年生。当時の事を話しながらやっぱり胸が苦しくなります。遠く離れていますが他人事ではない、ずっと忘れられない出来事です。
あの日は自宅にいました。震源から600キロ以上離れた我が家からでも、窓から眺めると遠くの海面が下っているのがわかり、初めて見る光景に驚きました。停電が長く続きライフラインも遮断され、震源も被害の詳細もわからないまま深夜まで過ごしました。数日後、ロイターに掲載された津波被害の報道写真が今でも忘れられません。真っ青な空を背景に、海辺の大木の上の枝に亡骸が、2つに折り畳まれ風に揺れている姿でした。
3.11の夜、真っ暗な体育館にいた。現実なのか……夢なのか?今にも体から解離しそうな心を引き止めるのに必死だった。1人で避難した私はただただ不安で、これからのことを巡らせてはさらに心が沈み、声を抑えて泣いていた。余震が収まらない中、聞こえてくるラジオの声にふと耳が引き付けられた。「あっ、いつものアナウンサーだ」一瞬にして、目が覚めた気がした。声がこんなに安心感を与えてくれるとは。声の力に救われた。
「地震だね〜。」初めは同僚と軽い気持ちで話していた。しかし、収まるどころかどんどん強くなる揺れ。その激しさと初めてのことに動揺して、なかなか次の行動に移せずにいた。
その時聞こえた、「もぐりなさい!」の声。職場の上長の大きく、ハッキリとした声だった。その声にハッとし、やっとのことでデスクの下へ。毎年この時期になるとそのことを思い出す。そして、いざという時に行動できる人間になりたいとも思うのだ。
地震発生の日、夫は海外単身赴任中。3歳の息子と自宅にいて、食卓の下にすぐに隠れました。小2の娘がちょうど下校の時間でしたが、後で聞くと帰りの会の直後で、まだ若い担任の先生が「大丈夫だよ」と声をかけてくださり皆落ち着いていたことを知り、ありがたかったです。その後しばらくは、まだ子どもが小さかったこともあり原発事故の影響を考えて、食品の産地を気にしていました。今も先の見えない事故処理は、どうなるのでしょうか。
10年前の3.11。平日なのに夫が家にいた。長男の命日だったのでお墓参りに行こうと有給休暇をとっていたのだ。当時は静岡に住んでいて震度は5弱。常に東海大地震を想定している県民なのでついにきたかと頭をよぎった。夫婦で子どもを必死で守った。夫がいたのは長男が導いてくれたのか。当時5歳と3歳だった子どもは地震を覚えていない。あの時一番大切なものは家族だと心から思った。そしてこれからもそう思い続けるだろう。
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