都内はそろそろ、ソメイヨシノの開花が今か今かと待たれる季節になりました。桜を待つ季節、ときどき思い出すのが『徒然草』です。第二六段、「風も吹きあへずうつろふ人の心の花になれにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、わが世の外になりゆくならひこそ、なき人の別れよりもまさりて、悲しきものなれ」――風もないのに散る花みたいに移ろいやすい人の心。
一緒にいたときの言葉はどれも忘れないけれど、ただの他人になっていくのは、ある意味死別よりも悲しいよね――というのは私の超訳ですが、これに対し「マドンナ古文」で有名な荻野文子先生がおっしゃった言葉が実に痛烈。「人の心は移ろいやすいものである。相手のそれは『裏切りだ』と責めるが、自分のそれは『正直な気持ち』と弁護する」という一節、グサリと胸に刺さるのは、私がそうしてきた証なのでしょう。
できればこれからは、責めも弁護もせずに「別れることは、いっしょにいたということ」という糸井重里さんの言葉のようにありたいと思うのでした。(「徒然草」の時代は桜ではなく梅だったかもな、と思いつつ)
参考文献:『ヘタな人生論より徒然草』荻野文子(河出書房新社)
『思えば、孤独は美しい。』糸井重里(株式会社ほぼ日)
Comment