女性が性の知識を得る=セックスをコントロールできるようになる


ここまで聞けば「コミュニティ」は恐ろしく特殊な場所のように思えます。特に女性に対する戒律ーー男性と二人きりになることや髪を見せること(女性は結婚と同時に剃髪!!)、知識を持つことなどが禁じられているーーはなかなかのものです。

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『アンオーソドックス』Netflix独占配信中。Anika Molnar/Netflix

ところが読み進むうち、次第に様相は変化してゆきます。例えば、冒頭の「悪いのは、罪を犯したのは男ではなく、犯させた女だ」という理屈は、性犯罪被害者に対してよく言われるセカンドレイプそのものです。例えば、トーラーは「女性は12歳で成人」と定め、男性が関係することを罪としませんが、日本でも「性的同意年齢(精神的・機能的に発達した年齢)は13歳」で、同意があれば刑法上は罪に問われません。さらに、性的な知識から徹底して遠ざける結婚前の「純潔教育」と、時に「産む機械」と言われる結婚後の妊娠・出産へのプレッシャーに至っては、もはや説明するまでもありません。そしてその背景にあるのが「家父長制度」であることも。

 

デボラ:女性が性の知識を得ると自分のセックスを自らコントロールできるようになります。有史以来ずっと、男性はそのことを危険だとみなしてきました。同時に私はより興味深いあることに気づいたんです。それは性教育によって生じる「男女が親密になる」ことの危険性です。「コミュニティ」がそれを脅威と考えたのは、彼らが戒律よりも互いへ思いを尊重するようになるからです。

これはより広い社会にも置き換えられるんです。つまり男女が親密になるーー男性が女性を真に愛し、尊重し、理解すれば、もはや男性にとって女性は「支配し押さえつける対象」ではなくなります。男社会の根本である家父長制度が脅かされるわけです。

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『アンオーソドックス』Netflix独占配信中。Anika Molnar/Netflix

本の中には、こうした「コミュニティ」で苦しむ男性の姿も描かれています。つまり家父長制度は男性をもまた苦しめるもの。19歳で結婚した元夫もそんな一人だったと、デボラさんは言います。

デボラ:「男はいかなる種類ーー友達とも、妻とも、我が子ともーー感情的な結びつきを持ってはならない」という虐待的な教育を施された元夫は、非常に抑圧されていたと思います。私が去った4年後にコミュニティを去った彼は、今は外の世界で二人の子供の父親になり、そうした呪縛から自分を解放する方法を、ゆっくりと、一生懸命に学んでいます。もしこうした考えを「有害な男性性」と呼ぶなら、それは男性にとっても有害なんです。そして彼らに巻き込まれるすべての人たちーー女性であれ、子どもたちであれーーにとっても悲惨です。誰もが幸せにはなりません。

最近「女はしゃべりすぎる」と言って窮地に追い込まれた日本の政治家の男性を、私はとても気の毒に思いますーー彼の(女性に対する)悲惨で、壊滅的な恐怖心と不適切な感情について。子供たちの遊び場を見ても明白です。男の子たちが女の子の髪の毛をひっぱるのは、相手に対する「好き」という感情を伝える方法を知らないからなんです。彼らは無条件の自由や、自分自身に正直になれる相手、場所を与えられてこなかった。そんなふうにしか行動できないなんて……そんな人生が素晴らしいとは到底思えません。

 

“苦しみの中から変化が生まれる”
苦しみがないことが幸せではない


本を書いている最中は「誰にも理解してもらえないに違いない」と考えていたデボラさん。国、言語、文化を超えて共感を得た本は、彼女を「実存的恐怖」から救うと同時に、世界中で今を生きる女性たちを救いましたーー「同じことを感じた女性が世界中にいたのだ」という共感でつなぐことで。物議を醸せば議論が生まれる。その結果として改革と変化がもたらされる。誰かがやらねばならず、それが自分だったということーー著書のエピローグに、デボラさんはそう書いています。

デボラ:記憶が定かではありませんが、確か仏教に、こういう言葉があります。「suffering is change(苦しみの中から変化が生まれる)」。私はこの言葉が大好きです。なぜならば、人生における苦しみの経験は、自分や環境を変えるきっかけになるから。苦しみが続いているとしたら、その理由は、それ以前に変化を選んでこなかったからです。

もちろん変化には困難が伴いますが、自分が望み、決めたことなら、きっと幸せへと導いてくれる。「服従」は苦しみから守ってくれるかもしれませんが、幸せに導いてはくれません。「苦しみがないこと」が「幸せ」ではないんです。

私が今、日々の生活の中ですごく幸せだと思う理由は、自分の人生を自ら変化させ、望む場所にたどり着いたから。そして私にあらゆる挑戦が次々と降り掛かったとしても、その幸せが揺るがない理由は、私が常にそのことを振り返り、理解してきたからだと思います。

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デボラ・フェルドマン
ニューヨークにあるユダヤ教の「超正統」、ハシド派のコミュニティに生まれ育つ。故郷を去るまでの半生を綴った『アンオーソドックス』は、NY Timesベストセラーリストに入り、センセーションを巻き起こした。自伝をもとにしたリミテッド・シリーズはNetflix配信中。現在はベルリン在住。

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『アンオーソドックス』

デボラ・フェルドマン (著), 中谷 友紀子 (翻訳)

2009年秋、23歳のデボラ・フェルドマンは、ニューヨークにあるユダヤ教超正統派〈ウルトラ・オーソドックス〉のコミュニティと決別した。幼い息子とわずかな持ち物だけを車に乗せて……そのコミュニティでは、正しい服装、言葉を交わす相手、読んでいい本まで、すべてが“しきたり"で決められている。
英語を使うことは禁じられ、女性は人前で歌うこともできず、結婚後は髪を剃ってカツラを被ることを強制される———。
幼いころからジェイン・オースティンなどの小説を隠れて読んだデボラは、自立心に富んだ登場人物たちに触発され、自由な生き方を思い描くようになるのだが……

不自由と監視の目から逃れ、自由と自立を求め、コミュニティからの脱出をはたした勇気ある女性のアンオーソドックスな半生を綴った回想録。

撮影/AlexaVachon
取材・文/渥美志保
構成/川端里恵(編集部)
 
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