そもそもMattさんが音楽に目覚めたのは、父・桑田さんの影響。現役時代、肘を痛めた桑田さんがリハビリのために家でよくピアノを弾いていて、その姿に刺激を受けたといいます。野球という道を選択しなかったにせよ、Mattさんに大きな影響を与えたのは父の存在でした。そして、「この子が夢中になれるものを全力で応援しよう」という母の愛情が、音楽の道へ進みたいと願うMattさんの背中を押します。

「両親が許してくれたことで僕がわかったのは、子どもは親と同じ道を歩むべきというルールは“誰かが勝手に作ったもの”であって、桑田家にそんなルールはなかったということでした。だから子どもは“親と同じにならなくちゃ”なんて思わなくていい。そして親は“子どもは自分と違う道を歩んで当然”と受け止めてほしいなって。子どもの自由を潰さないことの大切さについては、僕は母からの愛情を通してたくさん教えてもらった気がします」

 


絶対的な味方がいてくれたから
罵詈雑言も乗り越えられた

 

周囲が求める“雰囲気”に流されることなく、心の声に従って人生を歩んできたMattさん。自分の性格を「イエス・ノーがはっきりしている」と分析し、幼い頃からモヤモヤとした気持ちをそのままにすることはなかったといいます。

 

「今も昔もヘラヘラしているように見られるんですけど、いじめを見つけたら止めに入ったりしていました。だって、いじめなんて見ていて気持ちいいわけないじゃないですか。同級生がクラスの病気の子を奇異な目で見るのもすごくイヤだった。僕はその子とよく遊んだし、お泊まり会をしたり、他の子と変わらないお友だちだと思っていたから。思春期も“男子だけでつるむ”ことがなかったし、女の子ともよく遊んでいました」

いじめや差別、性別によるグループ分けに感じる違和感。少年時代からその違和感を解消してきたのは“行動すること”だったと言います。人と違うことが原因で叩かれたり揶揄されたりすることは、他でもないMattさん自身が経験してきたことでもありました。

「Mattとして有名になる前から、学校とか日常生活で否定的な言葉をたくさん受けてきました。僕は“女の子っぽい”って言われていたし、良い悪いではなく“おかま”とか“おネエ”って言われたこともたくさんあります。さらに“桑田の息子なのに”という言葉が付いてくる。それでも卑屈にならなかったのは、母も僕も金子みすゞさんの“みんなちがって、みんないい。”という言葉が大好きで、本当にその通りだなと思っていたから」