料理研究家の高木ゑみさんが2021年3月28日、逝去されました。
享年35。
熱血指導ぶりが評判となり、予約が取れないほどの人気を博した東京・中目黒の「ガルシェフ料理塾」を主宰し、毎日台所に立つ女性が楽になるようにと著した『考えない台所』は14万部の大ヒット。
8歳の男の子を持つシングルマザーでもありました。このコロナ禍にあって料理塾を閉め、空き巣や人間不信に陥るような出来事にも遭い、腰痛だと思っていたものがステージ4の肺がんだとわかったのは昨年の秋──。
それらの困難を、持ち前の明るさで乗り越えてきたゑみさん。
「いきなり末期がんだなんて、なかなか経験できないことではないですか。ああ、これでまた、私の人生にネタが一つ増えた。私はこれをバネにして生きてやろうと思ったんです」。
ミモレでは彼女自身が語るこの生き方を伝えたばかりでした。
生前のインタビュー記事
インタビュー第1回:コロナ禍に空き巣、詐欺、そしてステージ4の肺がん宣告…でも前向きな人気料理研究家>>
インタビュー第2回:末期がんを患う35歳の人気料理研究家「人生のどん底からの抜け出し方」>>
病気の判明後もオンラインで料理塾を再開したり、オンラインで講演をしたりと、ゑみさんは亡くなる直前まで元気な姿を見せていました。
そんなゑみさんに最後まで伴走した友人のお二人、アヤコさんとリエさんにお話を聞きました(お名前は仮名)。
──ゑみさんはミモレのインタビューで、がん闘病のためオンライン料理塾ができなくなったとき、生徒さんがゑみさんの遠隔指示に従って代理で料理をすることを提案してくれたと喜んでいました。
その生徒さんというのがお二人ですね。
アヤコさん:はい、私たちはゑみの生徒であり、学生時代からの友人なんです。ゑみが主宰する「ゑみラボ」という会員制の料理コミュニティに参加していました。闘病中も毎朝のようにゑみのインスタライブがあったんですよ。そこでオンラインの料理塾も開きました。
「ゑみラボ」は運営担当者と友人により継続。コンテンツを見ることができます。
リエさん:ゑみが病室から松岡修造のようにバシバシ私に指示するんです。塩をつまんで入れろと言われていたのに、私がせっかちなので容器からそのまま入れようとしたら、すかさず「つまんで!」と指導が入る。
アヤコさん:入れる塩の種類も注意されていたよね。
リエさん:そうそう。あまり考えずに塩を入れようとしたら、「それは塩化ナトリウム!最終的に味を締めるときに使う塩は天然の塩にして!」と。
実は私、料理にぜんぜん興味がなかったんですけれど、ゑみがやるのなら参加してみようかと軽い気持ちで入会したんです。
でも、いざ彼女のライブを見たら、すごく勉強になったんですよね。塩の使い分け方とか、「少々」ってどのくらいなのとか、ちょっとしたコツとか。彼女は片付けも得意で、どうやったらやる気が出るきれいな空間になるかとか、毎日毎日教えてくれました。
アヤコさん:私もゑみラボに入って、料理のイロハ、レシピを見てちゃんと料理をすることを初めて学びました。
仕事が忙しいので料理はほとんどしないんですが、ゑみは週末に作り置きできるような保存できる料理も教えてくれる。すごく実践的なことを教えてくれました。
リエさん:パスタのきれいな盛り方とか、きんぴらごぼうのきれいな盛り付けとか、ちょっとした美味しそうに見せる工夫を教えてくれるんですよ。
ですから、料理ができない私のような人にもやる気を出させてくれるんですよね。
アヤコさん:それからゑみは、物事にどう向かうべきか、どういうふうに人と接するべきかなどなど、前向きに生きるためのいろいろなティップスを教えてくれるんです。
だからたとえ料理に関心がなくても、彼女の話を聞いているだけで十分楽しませてもらいました。毎朝話して、よくそんなにネタがあるなと感心していたんですよ。
リエさん:途中からは、いったいいつまでネタが尽きないんだろうと興味津々で(笑)。
【写真】末期の肺がん、最後まで笑顔だった闘病生活
▼右にスワイプしてください▼
- 1
- 2
Comment