軽視されるエッセンシャルワーカーの労働


感染症の専門家だけでなく、コロナウィルスと最前線で戦う医療関係者の声も、この一年軽視され続けている。過酷な労働環境で働く彼らが相応の報酬を受け取っているとは言えないにも関わらず、待遇改善を求める声が上がると「自分で選んだ仕事だろう」とバッシングする人さえいた。看護師不足が極まると「休んでいる看護師がいるはず」という話さえ出た。休んでいる? 結婚や出産で現場を離れて家事労働をしている可能性もあるではないか。それとも家事労働そのものが「休み」だと思われているのだろうのか。

私は今、デヴィッド・グレーバーという文化人類学者の書いた『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』という本を読んでいる。この本において、ブルシット・ジョブとは、「その仕事を毎日こなす本人でさえ確信できないほど、完璧に無意味な仕事」と定義される。ハンコを押すためだけの出社や、上司の社内接待や、私たちの現代社会はブルシット・ジョブに巻き込まれている。そして、その反対側に、医療従事者をはじめとして、社会になくてはならない仕事をする人たち、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちがいる。家事労働者もそこに含まれるだろう。だがなぜか後者は軽んじられる傾向にある。

「わたしたちの社会では、はっきりと他者に寄与する仕事であればあるほど、対価はより少なくなるという原則が存在するようである」ともグレーバーは書いている。お前たちはやりがいのある仕事をしているのだから高い給料など求めるな、と低待遇を強いられるのだという。

読んでいてどきりとした。私にも意味のない仕事に尊厳を傷つけられていた時期があった。上司の書き文字の解読や、経理を通すためのエビデンス資料作りや……。私の人生はこんなことで埋めつくされて終わるのだろうか。そんなストレスの矛先がむかうのは上司ではなく、本当に意味ある仕事をしているように見える人たちだったように思う。

 

 
自粛を呼びかけなければならないはずの上の立場の人たちが、自分だけは特別だと会食を繰り返したり、専門家の意見に耳を貸さなかったりするのも、同じことなのかもしれない。

もはや自分の仕事が無意味と化していることに気づいていて、でもそうではない、まだまだやれると抵抗したいのかもしれない。だが、そんなものに巻きこまれるのはもうたくさんだ。
 

今、全国の自治体でワクチン接種の担当者になった人たちが過酷な労働を強いられている。7月末までに高齢者への接種を終わらせろと無理を言われ、休むこともできずに、時には暴言を浴び、ツイッターで「脳に靄がかかり始めた」と言っている担当者の人もいた。ここにも「雨」が降っている。

一小説家の私にできることは少ない。彼らが降らせた「雨」をできるだけ観測しておくことしかできない。ワクチンが打ち終わって、世界が元どおりになったとしても(ならないと思うが)、本当に他者のために働いた人たちのことを忘れないでいたい。

 

朱野帰子 Kaeruko Akeno
1979年生まれ。2009年『マタタビ潔子の猫魂』(MF文庫ダ・ヴィンチ)で第4回ダ・ヴィンチ文学賞を受賞しデビュー。既刊に、『わたし、定時で帰ります。』(新潮社)、『賢者の石、売ります』(文藝春秋)、『海に降る』(幻冬舍文庫)、『超聴覚者 七川小春 真実への潜入』『駅物語』(講談社文庫)などがある。

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<書籍紹介>
『対岸の家事』

朱野帰子・著 ¥924(税込) 講談社文庫

手を抜いたっていい、休んだっていい。
終わりのない「仕事」と向き合う、
優しさと元気にあふれたハートフル家事小説。

24時間、年中無休。誰もが無関係ではいられないーー。
『わたし、定時で帰ります。』の著者が描く、もう一つの長時間労働。

二児を抱え、自分に熱があっても休めない多忙なワーキングマザー。
医者の夫との間に子どもができず、姑や患者にプレッシャーをかけられる主婦。
外資系企業で働く妻の代わりに、2年間の育休をとり、1歳の娘を育てるエリート公務員。
名も終わりもない家事に向き合う、専業・兼業主婦&主夫たちに起きるささやかな奇跡。

構成/川端里恵(編集部)
 
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