現在放送中のドラマ『わたし、定時で帰ります。』(TBS)が話題になっています。「残業はしない」というポリシーを貫くことで、働くことと人としての幸せとを追求する主人公を描いた異色のお仕事ドラマで、原作は朱野帰子さんの同タイトル小説です。その朱野さんが、もう一つの長時間労働として描いていることで話題の作品が『対岸の家事』(講談社)。家事問題が孕む社会問題に目を向けながら、私たちがこれから持つべき意識についてお話していただきました。

記事の最後には1話分のお試し読み無料掲載も! ぜひ合わせてご一読ください。

朱野帰子 1979年生まれ。大学卒業後、マーケティングプランニングの会社、製粉会社勤務を経て、2009年に『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞を受賞し作家デビュー。2018年に刊行した『わたし、定時で帰ります。』(新潮文庫)が話題となり、ドラマ化。二児の母でもある。

 

 

“お仕事小説の名手”が次に描いた職業は、
マイノリティになりつつある「専業主婦」


年々減少の一途をたどっている専業主婦。平成30年の厚生労働省調査によると、その割合は33%。64歳までの働く世代だけで見ると25%と、4人に1人しかいないことが分かっています。朱野帰子さんの『対岸の家事』は、そんなマイノリティと化した専業主婦の詩穂と、働くママ・礼子、育休中のパパ友・中谷など、様々な立場の人たちのぶつかり合いと助け合いを描いた小説。今回、専業主婦を主人公にしようと思ったきっかけは何だったのでしょう?

「構想を得たのは、1人目の子供が生まれた直後でした。初めての育児で家事の量が激増してパニックになっていたとき、近くに住んでいた主婦の友達がさりげなくサポートをしてくれたんです。私が『とにかく忙しい』とボヤくと、後日、『近くまで来たからうちの子のお古をアナタの家のドアノブにかけておくね』と置いて行ってくれて。それがそのまま保育園に着せて行けばOK、というような完璧なセットで。他にも、どのアパレルブランドの子供服が洗濯に強いかとか、地域の掲示板にしか貼り出されない子供向けイベントの情報だとか、いろんなことを、ほしいタイミングで教えてくれました。働くママではなかなか手に入れられないけれど、喉から手が出るほど欲しい情報ばかり。これはもはやプロのスキルだな、カッコいいな、と感動して。当時、専業主婦がマイノリティになりつつあるという記事を読んだこともあって、主婦を主人公にした物語を書いてみたいなと思ったんです」

しかしいざ書き始めると、自身の子育てと家事があまりに大変だったため、話はついつい暗い方向に進んでしまっていた、と言います。

「実際に書き始めたのは、2人目の子を産んだ後でした。育児も家事もさらに大変になり、どんどん追い込まれていって、気づけば攻撃的で暗い話になってしまい、何度も書き直すことに。当時は、誰も私のことを助けてくれないとか、無責任なアドバイスばかりしないでほしいとか、被害者意識でいっぱいでした。そんなとき担当編集者が、同じく子育て中の人に変わって。男性だけれど、話を聞いていると私よりも家事が苦にならないタイプで、そこから『人によって違う』という多角的な視点を物語に入れられるようになりました。性別や、世代や、育った家庭によって様々な事情があり、それぞれの言い分がある、という視点が生まれていきました」

そう語るように、『対岸の家事』に登場する人たちは、葛藤しながらも、違う立場の人たちを肯定していこうとする。勧善懲悪とは正反対の描き方が新しく、希望を感じられる物語になっています。

「自分が追いつめられていると、、うらやましいとか、ズルいとか、暗い心理に陥りがちです。ネット上にはそういった人たちのコメントが多く見られますが、そもそも不満があるからこそ書き込むわけなので、自然と攻撃的な声ばかりが入ってきてしまう。でもリアルの家事の現場では、主婦かワーキングマザーかの違いで反目し合うことってそんなにないです。働きながら子育てする私は、主婦の友達の知恵に助けられましたし、一方で、小学校のPTAに会社員の親が参加することで配布物をクラウド化するなど、効率化が進んだ、というケースも耳にします。リアルな世界では、お互いにないものを補って、必死に支え合っている事の方が多いと思います」

上世代は対立構図が好き
でももはや対立している余裕はない!


メディアは何かと「専業主婦と働くママ」、「既婚、未婚」、「子供がいる人といない人」などと二分し、対立構図を煽ってきます。が、「これからは違う立場で争っている余裕はない」と朱野さんは指摘しています。

「私は1979年生まれで、就職氷河期に社会に出ました。同期が少ないということもあるかもしれませんが、上の世代の人たちはポジション争いや対立が好きだな、と思ってます。男性は会社でポジション争いをし、女性同士はライフステージで争う、みたいな。でも、そんな争いに没頭できるのは会社も社会も盤石な時代に生きていた世代までだと思うんです。狭い世界の内側で争って、エネルギーを浪費し合っても、会社は潰れないし、地域社会も揺らがないと信じられる世代まで。少なくとも私は、他者となんとか繋がって生きるだけで体力気力が限界。さらに、私より下の世代は争うこと自体が嫌いな人が多いと感じます。多様性を受け入れ、違いを尊重することの方が、心地よいという人が増えているのではないでしょうか。対立構図はたしかに物語としては刺激的だし、一時的にスッキリするんですけど、現実でそれをやっても何も解決しない。超少子高齢化の時代に突入した地域社会を存続させていくために、家事のプロ同士が真剣に知恵を出し合って、互いに助け合わなければならない時にきている。なのに、家事をしたことがない人がいまだに会社や行政を動かしていて、そのことが家事の現場にいる人たちに無理なゲームや、分断を強いてくる、という現状が恐ろしいなと思います」

「争っている場合ではない」という象徴として、朱野さんは物語の中に、2年間の育休を取得して専業主夫となったエリート公務員・中谷を登場させています。中谷は詩穂のパパ友となるのですが、常に正論を説き、詩穂にも自分の考えを押し付けてきます。

「育児にも仕事の理論を持ち込み、何事も上から目線で語り、詩穂を辟易させる中谷ですが、思い通りにならない育児の世界に身を置くうちに、だんだんと詩穂の価値観に歩み寄っていくようになります。上の世代には、男性が家事や育児をすることを気持ちよく思わない人たちがまだいます。私たちが育った時代には家事をする父親なんていなかったですし、上司のほとんどがそうでしょうから、ロールモデルがない分、男性の方がしんどいだろうなと思います。中谷のように理論武装でもしないと、育休なんてとても取れないんじゃないでしょうか。でもこれからは確実に専業主婦が減っていくし、これまで家事をしたことがなかった人たちにも家事業界に参入してもらわないと回らない。育児という異業種の世界に触れることで、主婦をプロフェッショナルな職業だと認めていく中谷は、私自身とも重なります。家事や育児の能力に性差などないのだと、読んだ人に思ってもらえたら嬉しいです」


他人のリアルなケースを知ることで
私だけじゃなかった……と極限を乗り切れる


さらに朱野さんは、こんな興味深い指摘もしてくれました。「会社組織から家庭を優先する人を排除する行為は、やがてブーメランとなって排除した人たちに返ってくるのではないか」と……。

「育児問題は、そのまま介護問題にスライドすると思います。育児のために休む社員に無理解な会社は、親の介護をしなければならない人をも同じように扱うのではないでしょうか。介護の方が精神的に大変だし、終わりがないし、お金もいる。一人で背負い込むことになれば、離職という決断をしてしまうかもしれない。実際、介護に端を発した悲劇も多く起こっていますよね。私は介護の経験はまだないですが、世話しなければならない人を抱えると、役所の窓口を調べるだけで大変。家から離れられないため、近所に話し相手がない、というのもとても苦しかったです」

育児と介護は、「自分の子や親なのに自分で見ないなんて……」という、アウトソーシングへの罪悪感も似ていると朱野さんは言います。そのため行政など第三者の手を借りることができず、苦しんでいる人が多いのが実情です。

「私が就職した頃は自己責任という言葉が叫ばれました。そのせいか他人に頼ることが苦手な人が増えている気がします。子供を産んだのも自己責任、働くことを選んだのも自己責任……。でも助けを求めれば、意外と他人は助けてもらえるし、同じ経験をしていて解決法を知っている人も多い。私も近所の人たちとは失敗談を笑いながらよく話します。「夫と家事配分のために、どっちが疲れているかプレゼン大会をしたら明け方までかかってしまい、余計疲れた」という話をしたら、ママ友の一人が「喧嘩してるのはうちだけかと思った!」と涙ぐんでしまったことがありました。自分はダメな妻で母だと思えてきて、子供にも余裕を持って接する事ができなかったと。みんな孤独に頑張ってるんだなと思いました。メディアには正論ばかりがあふれているし、全方位に完璧じゃないと叩かれてしまうようで怖い。でもこの小説には不完全な人たちがたくさん出てくるし、自分だけじゃなかった、と安心してほしいです」

専業主婦はもちろん、人口も減少の一途を辿っている今、争っている場合ではない、ということを痛感しますよね。インタビュー後編は、争うのではなく助け合っていくために私たちが持つべき価値観について、お話してくださっています。

『対岸の家事』のプロローグと1話を無料掲載いたします。

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『対岸の家事』

著者  朱野 帰子 1400円(税別)講談社

『わたし、定時で帰ります。』の著者が描く、もう一つの長時間労働。家族の為に「家事をすること」を仕事に選んだ詩穂。幸せなはずなのに、自分の選択が正しかったのか迷う彼女のまわりには、性別や立場が違っても、同じく現実に苦しむ人たちがいた。誰にも頼れず、限界を迎える彼らに、詩穂は優しく寄り添い、自分にできることを考え始める――。終わりのない「仕事」と戦う人たちをめぐる、優しさと元気にあふれた傑作長編!

取材・文/山本奈緒子 撮影・構成/川端里恵(編集部)