私に勉強を押し付けた母、娘から勉強を奪った私
 

青木さんは、自分の生きづらさを作った要因でもある母親に、育児で頼ることは一切なかったと言います。そこで頼ったのは、義母や助産師さん、学校の先生、ママ友や子どもがいる先輩といった、地域のつながりを中心とした人脈でした。「とはいえ、実の母親に聞けないのなら周りの誰かに聞けばいい、というのもちょっと違うと思うんです」と青木さん。

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「娘のためというよりは、自分を守るために当時はそうするしかありませんでした。ただ、母に頼らないで生きることが生きづらさを解決してくれたかといえば、全然そうはならなかったんです。他の誰でもない母との確執を解消しない限り、誰かと健全な関係を築くことなんてできないのだと打ちのめされました。和解したのち、母はすぐに他界しましたが、もっと早くに確執を取り除けていたらよかった……というのが今の正直な気持ちです」

 

母親から勉強しなさいと言われ続け、いい点数を取っても「100点じゃなければ意味がない」と見向きもしなされなかった幼少時代。そんな過去の記憶を抱えながらも和解への舵を切った時、母親に見せた娘さんの1枚のテスト用紙が、自身の気持ちの変化に気づかせてくれます。

「90点のテスト用紙をみて、母は、『この子ならもっとできる』と言った。やはり、言ったけど、わたしは普通に母の話を聞けた。」(『母』P.25より)

「娘にはいつも『勉強なんてしなくてもいいんだよ』と言ってきました。その理由は、私が母から勉強を押し付けられて、とてもつらかったから。でも、ある時娘から『ママ、勉強なんてしなくてもいいって押し付けないで!』と反発されて。私も母と同じことをしていたのだと気づいたんです。

数十年分のどんな経験値を積んでいようと、娘に何か伝えたり相談に乗る時は、“指導者”になってはけないなって。友だちとの悩みを聞いても『その子にも何か事情があったんじゃない?』ってつい言いたくなるんです。けどそれって、寄り添ってあげることとは違うよなって。ママ友に教えてもらったアドバイスの一つに、母親というより、“少しだけ年上のお姉さん”だったらどんな言葉をかけるだろう?って考えるといいよ、というのがあって。私もこれを日々実践しながら11歳の娘と向き合うようにしています」

青木さやかさんが思い描く“いい母親像”に、お手本はいないかもしれません。それでも、心の中で「あなた」と突き放してきた母親に対して、最期に「お母さん」と呼んで仲直りできたことは、子どもを育てる上でも大きな自信になったと言います。

「『母』を執筆する中でわかったのは、私ってやっぱり面白い人間だなということと、それにも増して、めちゃくちゃ厄介な人間だなということでした。腫れ物にさわるように私と接してきた人もきっと多いと思う。だから、そんな私に今まで関わってきてくれたお母さんと周りの友人には、今は心の底から感謝しているんです。今日お話したことも今の私を作っているのも、母と信頼できる仲間です。『人は出会いで決まる』⋯⋯ そう思っているので、毎日の出会いを大切にしていきたいです」

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『母』著者:青木さやか 中央公論新社 1540円(税込)

長年にわたる母との確執。いびつな感情を抱えたまま「わたし」は母から逃げるように上京し、毎日タバコの煙を全身にまとってパチンコに通う。そして結婚に出産、離婚に「がん」までーー。母のせいで自分のことを嫌いになった「わたし」は、それでも最期に母と向き合うことで「わたし」との関係を修復していく。青木さやかさんが自身の傷と向き合い、生きることの意味を見つけていく、心に迫る人生譚。

インタビュー前編「青木さやかさん「自分を180度変えたら、憎んだ母とも自分とも仲直りできた」」>>

撮影/赤松洋太
取材・文/金澤英恵
構成/山崎 恵
 
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