母からの愛情に飢えて育った一人の女性、大人になっても解き放たれることはなかった生きづらさという呪縛――。青木さやかさんが自身の半生を綴った私小説『母』は、母親を許せなかった過去、様々な人々との出会い、そして母親との和解を描く物語です。どうしても自分を好きになれない「わたし」と、そんなわたしを形作った母親に、青木さやかさんはどのように向き合ったのでしょうか? 苦しい過去の記憶を乗り越え、自分を認めてあげられるようになるためのヒントとは? 青木さやかさんにインタビューでお聞きします。

 


30度でも100度でもなく、180度自分を変えた
 

『母』の中で語られる青木さやかさんの上京物語は、キラキラした青春のひとコマとはかけ離れた、1LDKのアパートでの荒んだ生活でした。愛を与えてくれなかった母親から逃げるように地元を飛び出し、タバコとパチンコに依存する日々。借金を重ねてなおもパチンコへ通い、恋人には愛想を尽かされ破局。本作の中で描かれる「わたし」は、水の流れにくるくると翻弄される根無し草のようにも見えます。

 

「自分でも、人間関係、特にパートナーとうまくいかない原因は“母”ではないかと思っていました。東邦大学教授で家族・生殖看護学が専門の福島富士子さんから“愛着障害”という言葉を聞いたとき、それかなって。小さい時に親にもらえるはずの絶対的な安心感が根底にないから、大人になってからも誰かと深く関ろうとすると不安がつきまとうんです。うまくいっているとしても、うまくいっていないように感じてしまう。何度もチャレンジしましたし、今度こそはと毎回期待もしました。けれど私の場合、本当の意味で心の幸せを得るには、母との問題を抜本的に解決しなければならなかったんです」

結婚に出産、そして離婚。さらに2度の肺腺癌を経験した青木さん。一方で、自分を苦しめた母親は悪性リンパ腫にかかり、延命治療をしないことを母自らの意思で決めました。最期の時が近づく中、青木さんは母親との関係修復に向けてある決意を固めます。

 

「もう、180度変わろうと思ったんです。母への不満を誰かに吐き出せばその場はスッキリするけれど、同情も共感も私を完全にはラクにしてくれなかった。だから最後は、自分の意志で仲直りしようと決めました。私の人生において母が絶対悪だという固定観念をひとつずつ外すこと。母との関係がこじれてしまったのは全部自分のせいだと反省すること。すごく大変な作業でしたけど、30度でも100度でも意味がなくて、180度変わる必要がありました。このことは、動物愛護の友人、武司さんに教えてもらいました」

青木さんがなぜ自分を真逆に変える努力をしたのか。その理由はふたつあると言います。

「ひとつは、私が自己肯定感を持てない原因を作った母と和解することで、自分の生きづらさを変えたかったから。もうひとつは、母と私はふたりともガンを患いましたが、それが私たち“母娘の因果”だとしたら、娘には絶対に渡したくないと思ったからです」

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−7kgのダイエットにも成功!いっそう輝きを増した青木さやかさん
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