よく「人を許すことは大切だ」と言われます。ただ、それを鵜呑みにし過ぎると苦しんでしまうこともあります。「人を許せない自分は、未熟なのだ」と思い、自己嫌悪に陥ってしまうこともあるからです。
現実的に考えて、「ただ許せばいい」というわけではありません。「人を許すことは大切だ」ということの真意は、何でしょうか。


「人を許すのは大切」の誤解1:「反省していない相手を許せ」というわけではない

「人を許すのが大切」の誤解。許さない方がいい場合もある_img0
 

「人を許す」というのは、思いのほか、難しいこともあるもの。おそらく多くの人が、自分にひどいことをした相手が、心から反省し、土下座して号泣しながら謝り、さらに、なにか損害があったときは、弁償もきちんとしてくれるのであれば、それでも「恨み続ける」なんてことはしないものです。
逆を言えば、自分を傷つけた相手が「反省していない」から、許せないことが多いのです。でも、それは当然のことかもしれません。

 

ただ、だからといって、恨み続けてもいいわけでもありません。そんな相手に憎しみを抱いているだけで、心は悶々としてくるもの。そんな時間を過ごすのは、もったいないことです。だから、“自分のため”にも、そんな嫌な思いは手放したほうがいいもの。そういう意味で、「許すことは大切」だと言われることもあるのです。
つまり、そこにある真意は、「(そんな残念な相手を許すかどうかはさておき、)相手に対する恨みは手放して、楽になりましょう」という意味であることもあるのです。

人を恨んでいる時は「相手のせいで、自分はこんなに苦しい思いをしている」と感じるかもしれませんが、実際は、「自分で自己を苦しめていること」も多いものです。
例えば、自分がお気に入りの白い服を着ていたら、人から赤いペンキをかけられてしまったとします。相手が謝りもせず、反省もしていなかったら、それは頭にきます。
そんなときは、法的手段をとってでも、相手に弁償してもらうかどうかはさておき、とりあえず、自分がその赤いペンキのついた白い服をずっと着続けて、嫌な気分になる必要はありません。せっかくのお出かけであれば尚更、そんな気分を引きずってしまうのは、もったいないことですしね。
だったら、その白い服は捨てて、新たにお気に入りの服を着て、“ペンキをかけられた出来事”なんてなかったかのように、気分良く過ごしたほうがいいことでしょう。

つまり、相手が反省していないのであれば、許す必要はないかもしれませんが、「相手を憎み、苦しみ続けること」はやめたほうがいいのです。「怒りの感情」というのは、自分自身の心を攻撃してしまうので、自分のためにも、極力、抱かないほうがいいものです。
だから、極端な話、憎き相手は、「自分の世界にはもういないもの」くらいに思って、自分は自分の機嫌を取り、幸せに生きていたほうがいいのです。
逆を言えば、いつまでも恨み続け、悶々と過ごしているほうが、相手の思うツボであることもあるでしょう。限りある人生の時間を、そんな人を恨むことに費やしているのは、もったいないことです。

もちろん、相手を許せなくて、自分の正当性を証明できるときは、法的手段を使うなりして解決するのは、悪いことではありません。ただ、そこまでするような出来事でないときは、手放してしまったほうがいいことも。少なくとも、感情的になって仕返しをすることだけはやめましょう。そんなことをしたら、相手から、さらに仕返しをされて、泥仕合になりかねません。そんな残念な相手と一緒に地獄に落ちるくらいなら、同じ土俵に乗らないほうが幸せでいられます。

「自分が苦しむほうに気持ちを持っていく癖」がある人は、意外といます。でも、憎き相手がいようがいまいが、苦しまない状態、そして自分が幸せになれる状態にもっていくことは大切です。もしそれができないときは、単に恨みのある相手が悪いだけでなく、「自分で自己を苦しめていること」は、理解したほうがいいでしょう。

「許すことは大切だ」とは言われていても、愛情がある故に許さないほうがいいこともあります。それについては、次のページで紹介します。
 

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