時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。

子宮の動画が話題です。世界最大級の広告賞の一つ「カンヌライオンズ2021」で受賞作が発表され、スウェーデンの生理用品ブランドLibresse/Bodyformの動画広告”#wombstories”が4部門でグランプリを獲得しました。

世界的な広告賞「カンヌライオンズ2021」の4つの部門でイギリスの生理用品ブランドBodyformの「#wombstories(子宮の物語)」がグランプリ(最高賞)に選出。


同作はアニメーションと実写を織り交ぜて、子宮を持つ人たちが経験する様々な身体の変化や不調、それに伴う痛みや悲しみ、喜び、憎しみ、戸惑いなどを描いています。そうした話が語られ、傾聴されるようになることで知識が広まり、悩みを一人で抱えないですむ社会の実現を目指すものです。

 

洋の東西を問わず、子宮にまつわることはタブー視され、社会的にも個人的にもあまり語られてきませんでした。いやらしい、汚らわしい、はしたない、グロテスク⋯⋯ など、ネガティブなイメージを持たれる一方で、性的なファンタジーとして消費され、あるいは子孫繁栄の象徴として神聖視される。子宮を持つ人たち一人一人の健康や人生については、一人称で語る機会がほとんどありません。ごく親しい人に打ち明けても、それが社会課題として広くシェアされることはありませんでした。

子宮を持つ人たち、ってまどろっこしい言い方ですね。子宮があり生理などを経験するのは女性だけではありません。トランスジェンダーの男性で生理のある人もいますし、オーストラリアでは複数のトランスジェンダーの男性が妊娠・出産して子育てしています(男性の妊娠に伴う医療費も保険適用)。

ここへきて、生理について語ろう! とか、性教育を通じて全ての人に生理の知識を、という声が高まっていますよね。私も先日、ミモレの「生理の話をしよう」でインタビューに答えました。生理は健康だけでなく、人権や格差などにも関わる重要な社会課題です。日本でも、生理の貧困に関する報道が増えています。それに伴って、無知と偏見に塗れた批判や中傷を目にする機会もあるでしょう。残念ながら、生理をエロ文脈でしか捉えられない人がたくさんいるのです。

女性器は、男性器の快楽のために用意されたオモチャではありません。子孫を残したい男性が自由に使える繁殖ブースでもありません。人口を増やしたい政治家のために働く国民生産機でもありません。名前を持つ誰かの、血の通った体の一部です。セックスや生殖は個人の人生を営む上で大切な要素の一つですが、誰かの身体が他者の快楽や生殖のためだけに存在するかのような扱いは、不当ですよね。その身体を持つ人を人間ではなく、モノとしてみなすことですから。これまで人類の歴史上、何億という人がその臓器ゆえに差別され、搾取され、隔離、隠蔽されてきました。

子宮について語ること、生理や避妊や病気や流産や更年期など、様々な事柄に伴う心の痛みや葛藤、迷いや孤独を可視化することが、なぜ必要なのでしょうか。センシティブな話はそっとしておいた方がいいのではないかと考える人もいるでしょう。もちろん、誰でも生理について語りなさいと強制するのはやりすぎです。でも、子宮をめぐる様々な事例や実感を言葉にして、同じような経験を持つ人たちがつながりあい、声を世の中に届けることで、そこに人々の健康や幸福な社会生活に関わる大きな課題が「ある」ことに多くの人が気づくことができるのです。

ないことにされてきたものを「ある」ようにするには、アクションが必要です。”#wombstories”の4冠受賞にも、そうしたメッセージとアクションが注目されていることが表れているでしょう。カンヌライオンズ2021の決勝審査員は10人中6人が女性だそうです。

そう聞いて「ほらね、結局女が多くなると女の関心事ばかりが評価されるんだよ」と言う人が必ずいます。そんな人はまず、国際的な場では、ジェンダー平等や多様性に関するテーマが今や主流となっていることを知って欲しいです。「女性に関することは女性しか興味がない」というその思い込みが、まさに生理のタブーや女性蔑視、ジェンダー格差を生み出してきた元凶なのだということも。

子宮について、生理について語るのは「女の権利を振りかざす」ことでも「男への嫌がらせ」でも「下品な自己主張」でもありません。人が健康に暮らし、安全な社会生活を送るために必要なことです。他者の身体や痛みを知ることは、自身が生きる世の中を知ることに他なりません。命へのリスペクトであり、人権を尊ぶことなのですね。
 


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