母を「アホ」と呼ぶよう子どもをそそのかす父


「『優しい人に』とか『心が豊かに』とか、当時は全く思いつきませんでした」と言うDさん。それも我が子を守るため。夫の機嫌の悪さが子どもに向いてほしくない一心で、大人の言うことを聞ける子でいてほしいと願うのが彼女にとって精一杯だったからです。

幸いDさんの子どもはそこまで手のかかるタイプではありませんでした。

大人しいとまでは言えなくても、癇癪を起こして手がつけられなくなることもなく、そのため父子関係もそこそこ良く、夫は夜な夜な酒を飲んでは子を膝に乗せ、向かい合って遊ぶのを日課にしていました(もちろん面倒は見ません、遊ぶだけ)。

しかし子どもが4歳になった頃、父は我が子にパンチの仕方を教えはじめました。

「顎を狙うんだぞ」と言って聞かせて、させてみて、そして「うわああ」とやられてみせる。子どもは大喜びです。

それと同時に母親であるDさんのことを「アホ」とか「馬鹿」とか呼ぶようになり、我が子に対して「お前も言っていいぞ」とそそのかすようになりました。

その様子を見て「このままいったら、将来、2人から殴られるようになる」と確信したというDさん。もはや一刻の猶予もありません。

そんなある日、また夫がサービスでしてくれるという足ツボマッサージ。

断りきれずマッサージを受けたDさんでしたが、その日はあまりの痛さに我慢ができず反射的に夫を押しのけてしまいました。すると怒った夫は無表情でDさんの顎を何度も殴りつけ、そのまま首をしめ、さらに口の中に手を突っ込んできました。口の中に入り込む手に一度は反射的に噛み付いたDさんですが、「やり返したら次どんな目に合わされるかわからない」という恐怖で、それ以上顎に力を入れることができません。

苦しくて死にそうでも怖くて反撃できない。そう思い込まされるのが精神的な支配であり、DVの真髄なのです。

「大人の言うことを聞く子になって」DVから守るため、唯一、母が我が子に求めたこと_img0
 

診療の現場でDV・虐待事案を多く見ている救急のドクターはこう証言します。

 

「口の中に手を突っ込まれるのは相当苦しいはずです。しかし外傷としては残りにくい。だからこそ外傷痕がなければDV・虐待じゃないというのは論外です。 ここ数年の事件だけでも、冷水を浴びせる、過剰な運動の強要、関節技、食事や睡眠を取らせない、長時間立たせるなどの外傷痕は残らない方法が主流となっており、DVと児童虐待は、体に受傷痕を残さない形での加害へと手段が切り替わっていっている印象があります。

これらの加害の性質上、暗数が極めて多く、事件として認知されるのはその中のごく一部であろうと考えられるため、 割合としての増減を軽々に語ることはできませんが、 目黒や野田の虐待事件報道前後には、 上記のような受傷の痕を残さない手法が複数組合せて行われているケースが次々に報道されたのはご存知の通り。

さらに診療の現場にあっても、被害者から聞き取りをする限り同様の被害が増加していることを感じています。覚知や認知の問題であることを完全否定はできないものの、あたかも加害者間で新手法が共有されていくかのような、不気味な拡がりを感じます」

つまり、DVは支配そのものであり、またDVの中に暴力があったとしてもそれを証明するのが極めて難しいということ。

ではなぜ加害者はみな同じような言動をし、同じような加害方法を取り、そしてその手法に流行り廃りがあるのでしょうか。

またDさんはこの地獄から逃れることはできるのでしょうか。

(次回に続く)

 

前回記事「「結婚相談所で出会った男性が酒乱&DV夫に!?殺されかけても面会交流させられている話」

 
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