大会ボランティアとして3日間の活動を終え、私も金銀銅メダル、ならぬピンバッジを獲得。一年半かけて、事前に選手の経歴や発言内容、サーフィン用語を三ヶ国語で勉強してきた、ご褒美を頂けたと思っています。

釣ヶ崎海岸で3日間にわたって行われた東京2020大会の新種目、サーフィン。各日約6時間ずつボランティアとしてお手伝いしてまいりました。活動する上で知り得た機微な情報を漏らさない旨の規則に抵触しない範囲内で、お伝えできることを残します。

私の主たる持ち場は、会場内のミックスゾーンと呼ばれるエリア。競技を終えた選手たちが海から上がって、控室に戻るまでに歩く通路で、その脇には柵越しに、取材を許可されたメディア関係者が並びます。要請に応じて日英仏の通訳をし、それ以外にインタビュー用のマイクのスイッチを入れて選手に渡す、あるいは捧げ持つ、感染対策としてマイクのカバーを逐一交換する、運営側からメディアに対する注意事項を英語でアナウンスする等の役割を提供させて頂きました。

メディアを通じて主に目にするのは、試合に勝ったりメダルを獲得したりした後のインタビュー。その一方で、試合に負けた後の取材、キャリアが終盤に差し掛かり、最初で最後のオリンピック参加となるであろう選手の去り際の美学の中にも、ひときわ含蓄のある言葉や態度を見出した気がします。気丈に取材に応じた後、ボードを抱えたまま、うずくまって涙する選手には、居合わせた者の一人として拍手で讃え励ますという経験もしました。

上総一ノ宮駅から会場へ向かうスタッフ専用バスに乗っている時、沿道から興奮した様子で手を振って下さった地元の方も、いらっしゃいました。私たちは選手でもないのに。。。とっさのことに初日はとまどいましたが、二日目は手を振り返すことができました。会場がある自治体への社会経済的な効果は想定を下回ったにも拘らず、喜びを表して下さった住民の方に感謝したいです。

ちなみに会場内のトイレが常に清潔に保たれていたことも、申し添えます。華々しい舞台を、清掃員の方たちが陰で支えて下さっており、特に衛生面が重要な時期、これも海外からの来場者に向けて、日本の良いイメージを下支えする外交の一部なのではないかと感じます。また、裏方という意味では、自衛隊、警察、消防、海上保安庁、総務省等、想像よりもたくさんの方たちが現場で携わっていました。

強い日差し、そして風雨の下で、海の状況は刻々と変化していきました。波の予測に基づき、日程が急遽3日間に凝縮され、勝ち残った選手たちは最終日、3試合をこなすというハード・スケジュール。ボランティアとして早朝からのシフトを終えた後、メダルの懸かった試合を自宅でネット観戦。銅メダリストとなった都筑有夢路選手が、準々決勝で敗退した大原洋人選手に祝福される姿、(英語は十分お出来になるけれど念の為の)通訳をさせて頂いた二度のインタビューのことも思い出され、涙が溢れました。一夜明け、表彰式の時よりも和らいだ表情でテレビに出演する銀メダリストの五十嵐カノア選手の様子にも、勝手ながら安堵しています。

トップ・アスリートの皆さんを間近でサポートする光栄に浴し、サーフィンの技術以上に、言動の端々に表れる思慮深さから、国籍に関わらず、その人間性に強く心を打たれた3日間でした。