時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。

 

かつて、ものを伝えるのは特別な仕事でした。今は誰でも、思い立ったらすぐに文字や音声や映像で作品を作り、インターネットで全世界に向けて発信できます。もちろん、すぐに世界中の人が読んでくれるわけではないけれど、かつては特権的な「クリエイティブな仕事」をしている人たちだけが経験した悩みや喜びや手応えなどを、今は誰もが体験できるのです。

あなたも、自分にも何か書けるかもしれない、文章で思いを表現してたくさんの人に伝えたい、と思ったことがあるかもしれませんね。それは目立ちたがり屋でも自己陶酔でもなく、ごく当たり前の欲求です。どれほど内気な人であっても、心の奥底に、誰か耳を傾けてくれる人の訪れをじっと待つ言葉を抱えているものです。聴いて欲しい、知って欲しいという無意識の欲求が、人間を複雑で魅力的な存在にしています。

そんな「書きたい!」という熱意を持った人たちが集まっているのが、〔ミモレ編集室〕。先日、メンバーの皆さんに向けて、オンラインでお話をしました。テーマは、「ジェンダー平等について書く」。性差別をなくすのは大事なこと。だけど、それについていざ書こうとするとなんだか優等生的になってしまう。偉そうなことを書いて、理想だけが上滑りする感じ……そうならないためには、一体どうすればいいのかな?ということについて、思うことをお話ししました。

きっと多くの人が悩むでしょう。「研究者でも職業ジャーナリストでもない自分には、人に何かを伝えることなんてできないのでは?」って。責任感のある人ほど、ものを書いたり話したりしようと思うと「自分なんかが何を言える?」と不安になってしまうもの。実はそれは私がものを書き始めた頃から繰り返しぶつかっている壁でもあります。でも、誰もが世界にたった一人の専門家なのです。もちろん、あなたも! では、あなたが誰よりも詳しく知っている“専門分野”って、なんでしょう?

そう、あなた自身のことですね。ジェンダーギャップを感じたこと、性差別を受けたこと。些細なことでも、何かあるはずです。親戚に「女のくせに」と言われて悔しかったので、自分は他人に「〇〇のくせに」と言わないようにしている、なんていう小さなことでも、そこにはあなただけのストーリーがあります。それを書けば、自分だけの経験を通じてジェンダー平等について語ることになります。

特別なことでなくてもいいのです。今朝、何時に起きて何を食べたか。通勤電車の中で何を見て、どんなことを考えたか。それを全て知っている人は、世界77億人中、あなた一人だけです。その体はあなたしか生きていないのですから。

「朝、目玉焼きを食べました」という話でも、詳しく聴いていけば全然違う風景の中で、全く違うことを考えながら食べていたことがわかるでしょう。似たような経験は、実は似ていないのです。朝食に目玉焼きを食べた人が百人いても、同じ卵を食べた人はいませんよね。

人の話が理解できるのは、まさしくそれが「平凡な」「誰しも覚えのあるようなありふれた」ことだからです。平凡だからこそ、ほんとは違う話なのに共感できるのですね。

考えてもみてください、人類は誰も火星に行ったことがないのに、人々はネットやテレビで火星に関する情報を見て、それぞれに勝手な想像をして、一緒に「火星の話」をしているんですよ。不思議ですよね。同じ火星の話でも、頭の中に描く想像図は人それぞれ。想像の材料になる経験が異なるからです。

例えば私は、オーストラリアの赤い砂漠のような場所に行ったことがあるので、火星ってあんな感じかな、と勝手に風の匂いや光の感じをイメージしています。でもオーストラリアの砂漠に行ったことがない人はその感覚はわからないだろうし、一緒に行った家族とも、頭の中の火星図は異なるはずです。
私たちはとても平凡で、似通っていて、うんと近いところにいるのに、全然「同じ」じゃないのですから、本当にもどかしいですね。

喜びや痛みを人と比べて、優劣をつけることはできません。あなたの体験がどれほど平凡でも、それに伴う感情や思考は、世界に一つのものです。表現とは、それを実況すること。読む人、聞く人が“平凡”であることを信じて、自分の脳みそに映る景色を言葉に変換すること。違いを語ると、同じものが見えてくる。ありふれたものを語ると、違いを発見できる。言葉にするって本当に、面白いなあと思います。


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