人の命に関わる医療現場で働く人々は高い職業意識を持ち、日々仕事と向き合っています。そんな中、常に緊張を強いられ、時には患者や家族から辛辣なことを言われて気が休まらないことが多いのも事実です。昨年からは新型コロナウィルス感染拡大の影響で医療現場が逼迫しており、さらに厳しい状態にさらされ続けています。

 

2016年に55歳で作家デビューを果たした南杏子さんは、都内の終末期医療専門病院に勤務する現役医師でもあります。デビューから6作目となる『ヴァイタル・サイン』(小学館)が8月18日に発売されます。主人公は二子玉川グレース病院で働く看護師の堤素野子。看護師10年目となる31歳の女性です。慢性的な人手不足の中、認知症や糖尿病など複数の疾患を抱える高齢患者の看護に当たっています。

 


じわじわと心身を追い詰められていく医療現場の人々


今まで女性医師が主人公の作品を書き続けてきた南さんが、初めて看護師を主人公にしたのは、1つの事件がきっかけでした。看護師が点滴に消毒液を混入させて患者を相次いで殺害した「大口病院連続点滴中毒死事件」です。

「看護師をそこまで追い詰めたものは何なのかを知りたいと思ったんです。看護師とは日々一緒に同僚として働いていますし、事件の彼女が悪いことをした、で終わりにしたくなかった。それに、看護師は患者さんに一番近い立場。最前線ゆえの怖さやストレスもあるはずで、そこをビビッドに、ダイレクトに書くとしたらやはり主人公は看護師かなと」

物語は、高齢者医療の現場がかなりの緊張を強いられ、一つの判断ミスが大きな事故につながるシビアさをとてもリアルに描いています。そこに慢性的な人手不足で休んでも疲れが取れないほどの激務、人間関係のストレス、将来のキャリア形成への不安などが加わります。主人公の素野子は、元看護師の母が乳がんを患っており、休みの合間を縫って実家に様子を見に行くなど、親のケアにも時間や労力を取られています。

ある時、素野子は休憩室の共用パソコンで、看護師と思われる「天使ダカラ」のツイッターアカウントを見つけます。そこには、〈ヤブ医者め! バカヤロウって言う方がバカヤロウなんだよ!〉〈着替えさせてもらってるくせに、耳元で怒鳴るな!〉など、看護師が決して口にすべきではないツイートが並んでいました。見つけた時は怯んだ素野子でしたが、看護師の生々しい本音の投稿を見ているうちに、気持ちを代弁してもらったような気がして、心が安らぐようにすら感じてしまいます。

「現場は愛だけでは支えられなくて、本当にきれいごとじゃ済まない。この作品で描いているのはフィクションですが、似たようなことはよく見聞きします。このように追い詰められている人は、医療や看護の世界だけでなく、あらゆる場所にいると思うんです。私は高齢者医療の現場をよく知っているので小説の舞台にこのフィールドを選び、そこで感じたことや怒り、悲しみなどのリアルな感情は嘘がないように伝えたいと思って書いたんです」

 

物語を読み進めるにつれ、素野子は、プライドの高い後輩看護師とのやりとり、ある患者の家族との衝突、仕事上の判断ミスなど、さまざまなことが積み重なり、じわじわと心身を追い詰められていきます。本人の気持ちや努力とは裏腹に、どんどん悪い方向に転がってしまう素野子の苦しさを目の当たりにすると、医療関係者でなくても他人事とは思えず、自分まで辛くなっていくようです。

患者さんに笑顔で接するには、看護師側もハッピーでないと


「特に高齢者医療の現場では、気持ちも体も弱っている患者さんに対して笑顔でいるということはとても大事なことで、笑顔を向けることで『自分は受け入れられている』と安心してもらうことができます。でも、ケアをする側がハッピーじゃないと、笑顔って出せないんですね。だからこそ職場の環境改善はとても大事なことで、人手不足や職場でのストレスは、使命感に燃え、責任感のある人たちを追い詰めていくことになるんだろうと思うんです」

今の状況をどうにかいい方向に持って行きたくても、自分一人の力ではどうにもならない。結局のところ、責任感の強い真面目な人たちが疲弊していくのみで「何も変わらない」と諦めるしかない。そんな状況に陥っている人は、いたるところに存在しているのではないでしょうか。

南さんが本作を執筆するきっかけになった事件の一つである、「大口病院連続点滴中毒死事件」の看護師が犯行に至るまで、どのような心理状態であったかは推測することしかできません。また、彼女が点滴に消毒薬を入れて何の落ち度もない患者の命を奪ったことは決して許されることではありません。でも、ギリギリまで追い詰められた素野子は、そのような事件を引き起こす看護師のことを決して他人事とは言い切れず、自分も延長線上にいる人間であってもおかしくないと感じます。

「追い詰められる人たちは、全部自分の責任だ、と一人で背負ってしまいがちです。そういう時は逃げてもいいーーということは伝えたいですね。私が医療現場の問題や女性の生きづらさ、高齢者医療の現場について小説で書いているのは、私個人が解決方法を見つけられなくても、読者の誰かが実行力を持ってやってくれるかもしれないと思うから。それが、私の書く理由の一つなんじゃないかと考えています」

 
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