先日、秋篠宮家の長女・眞子さまが年内に結婚される方向で調整が進んでいるとの報道がありました。案の定、保守派論者などから大反対の声があがっているものの、その声にかき消されそうになりながら確実に眞子さまを応援する意見も見られました。

2020年11月8日、「立皇嗣の礼」に参列した際の秋篠宮眞子さま。写真:REX/アフロ

私がツイートした「一途な愛とかお相手がどうというより、好きで皇族に産まれたわけでもない1人の女性が自分で自分の生き方を選ぼうとしているのなら(その帰結がどうであれ)それができてほしいと思うし、ここまで味方が少ない逆風の中で意志を貫いたの凄い。お相手も米弁護士への道、凄まじいプレッシャーだったろうな」という内容にも、イイネがツイートの翌日まで続きました。

 

眞子さまの結婚への批判に対して、違和感を覚えるのは以下の3点です。

1つ目は、誰であれ、人には好き好んで生まれたわけではない環境を脱する機会があるべきではないかということです。そもそも皇室離脱は理屈上可能でも、実質的には現在、皇室の女性にとっては結婚しか、そして男性にはほぼ機会がないことも問題だと思います。たとえ皇族であっても、自ら生き方を選べるべきだと思います。

今回の件は眞子さま個人の問題として是非が論じられがちですが、本来議論すべきは、結婚相手やその後の生活に例外的なケースが想定されていない皇族の扱いそのものではないでしょうか。英国のヘンリー王子にも言えることですが、その場合の扱いも含めて、現代の王室・皇室は方法と条件を考えるべき時に来ているのではないでしょうか。

2つ目は、主に反対派の間で論じられている、物価の高いニューヨークで2人が生活できるのかという批判への疑問です。多くの議論では小室さんが眞子さまを養えるのかという観点で論じられており、片働きしか勘案されていないように見えます。ICUを出て、公務もこなしてきた眞子さまが働くことをどうして想定しないのか。

もちろんそれでもなお足りるのか、警護費用はどうするのかという懸念はあるでしょうが、このようなケースについて皇室サイドも反対ありきではなく、海外で暮らす場合の警護をどうするか等、結婚を前提に計画することができなかったのかと疑問です(そもそも宮内庁が身辺調査を十分にしたうえで、先んじてトラブルを把握し、解決や就職をしてから発表すればここまで逆風は吹かなかったかもしれません)。

3つ目は、親と子は別人格であるということです。確かに私も自分の子どもが結婚したいと言ってきたら相手の素性は気になります。トラブルは解決してほしいとも思うでしょう。親でなく友人や親せきでも、こういう場合はやめておいたほうがいいとアドバイスくらいしたくなるのも分からなくはありません。

でも結婚自体は最終的にはお互いの同意で成り立つもの。今回の件については、小室さん母子に過剰なまでの詮索が入り、小室さんの母親と、小室さん本人が時に同一視されすぎている面もないでしょうか。ここまで意志を貫き、一時金は要らないという2人に対して、ましてや国民という外野が口を挟む必要はないのではないでしょうか。結婚を認める認めないではなく、税金を使う部分があるとすればどういった対応なら納得を得られるのか、といったことだけを議論の材料にすべきではないかと思います。

既存の体制に対し、自ら道を切り拓こうとする眞子さまを応援したいと思う人は少なくないはず。失敗したっていいと思います。こういう声もあるよということが、ご本人にも届きますように。
 

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