あなたの痛みはわからない。でも、わかりたいと思う


その上で、『おかえりモネ』がこだわり続けてきたことが、「当事者性」というテーマです。東日本大震災以降、「当事者/非当事者」というテーマについて社会全体で取り上げられる機会が増えました。被害を受けた当事者の苦しみを目にしたからこそ、非当事者である自分たちに何ができるのか。非当事者に震災を語る資格はあるのか。迷い、悩む人は少なくありません。

モネもそのひとりです。震災当日、島を離れていたモネは津波の恐怖を直接体験したわけではありません。島の人間でありながら、彼女の立場は非当事者。自分はあの日、あの場にいなかった。その無力感と罪悪感が長くモネを苦しめてきました。いわゆる「サバイバーズ・ギルド」をモネがどう受け止めていくのかが、作品全体の大きな焦点でした。

写真提供:NHK

そのひとつの答えが示されたのが、全体のちょうど3分の2となる80話のこと。救いを求めてきたりょーちんに応えることができなかった。なのに、自分は目の前からいなくなろうとしている菅波先生に縋ろうとしている。自分の中にある正しさの矛盾に苦しむモネを、菅波先生は抱き寄せて、こう伝えます。

「あなたの痛みは僕にはわかりません。でも、わかりたいと思っています」

おそらくこの言葉が、「当事者/非当事者」で分断される社会に向けた脚本の安達奈緒子のメッセージなんだと思います。

 

これまでも菅波先生は、非当事者の立場を貫いてきました。気象予報士になれたからといって誰かを助けられるとは思っていない。そうつぶやいたあと、「すみません。何言ってるのかさっぱりわからないですよね」と詫びるモネに、「ええ、さっぱりわからないので、大変不甲斐ないですが、僕からは建設的な回答は何一つできません」と答えた上で「ただ、回答できない分、聞くことはできます」と寄り添います。

決してこれは震災だけの話ではないのです。人は、みんなその人の気持ちはわからない。

だけど、わかりたいと思っている。大切なのは、その姿勢です。

「わかる」というのは「分かる」と書きます。「分かる」とはつまり「分かつ」こと。あなたを、ひとりにはしたくない。その痛みを、その苦しみを、少しでも分かち合いたい。ひとりで抱えるには重すぎる荷物を一緒に背負わせてほしい。それこそが共生であり、分断と対立が広がる今の社会に必要なものではないかと、『おかえりモネ』は問うているのです。

写真提供:NHK