〔ミモレ編集室〕のMiccaといいます。

この夏、かごバッグをひとつ処分しました。

バンコク駐在時代に現地で買った、プラスチック製のバッグです。
丈夫で軽いので、帰国後もキャンプに海水浴にと大活躍でした。

ところが夏に入ったころから、バッグから汗のような異臭がするように。
調べたところ、ポリプロピレン製品は劣化が進むとこういう悪臭がするのだそうです(汗じゃなくて良かった!)。もうもとには戻らないようなので、残念だけど手放すことにしました。
数えてみたら13年ほど使ったことになります。

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このキッチュな色使いがお気に入りでした。今でも可愛いと思います。

実はこのバッグ、ちょっと苦い思い出が詰まっています。一番嫌いな自分の欠点が爆発した長い迷走の記憶です。

 

駐在当時住んでいたバンコクのアパートは洗濯機がなかったので、私は近所のコインランドリーを使っていました。このかごバッグは、洗濯物を運ぶために買ったものでした。

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当時住んでいたバンコクのアパートからみた、コインランドリーに向かう道

でもね。
実は別にコインランドリーを使う必要はなかったんです。
アパートにはお手伝いさんがいて、洗濯物は代金を払って彼女に頼めばよかったから。
でも私は、かごバッグを抱えてコインランドリーを往復し続けました。
汚れ物を人に見られるのも、お手伝いさんにマジックで服の襟や裾に部屋番号を書かれるのも嫌でしたし、何より、人を頼ることができなかったんです。

その頃の私は、仕事も現地語習得も、人間関係作りも、何もかも自分でできなくちゃと思い込んで、勝手に孤軍奮闘していました。

赴任前、
別の国へ赴任が決まった夫に「一緒に来てほしい」と言われて悩んだり、
自分の会社でも赴任のための計画がなかなか通らなかったり。
四面楚歌のように感じるなかで、仕事はやめない!私は行くんだ!と言い続け、ダブル単身赴任という形でやっとバンコクに赴任することができました。

当然ですが、新しい環境ではできないことだらけ。それなのに「ほらやっぱり無理だった」と言われるのが怖くて、でもそんな自分を誰にも見せたくなくて、私は人生最強度の意固地を張り続けました。

バカバカ、私。
今もし私が当時の自分に言葉をかけるとしたら、
別にあのとき離職してもあなたの人生はその後なんとかなったし、
赴任先ではもっと周りを頼って良かったんだよ、
むしろそのほうが良かったんだよ、
って言いたい。

でもあの頃の私はきっと、そう言われても「そうだね。ありがとう」とおざなりな返事をしながら洗濯物をあのかごに突っ込んで、さっさとコインランドリーに行っただろうなあとも。

人を頼るのが下手という欠点を遺憾なく発揮し続けた結果、私の2年間の駐在は何だか空回り気味で終わりました。

「あの頃のあなたは、話しかけにくかったよね」

と、当時お世話になった現地の人たちに笑い話にしてもらえるようになったのは、帰国してからしばらくたった頃です。
ああこの人たちの厚意を受け入れていれば、もっと楽しく、もっと豊かに過ごせたのに。
私の中では、今でも完全に取り戻せたとは言えない、人生の大きな穴みたいな時代です。

そんな黒歴史をともに過ごしたかごバッグが、いつのまにか劣化し、異臭を放っていました。

「もういいんじゃない?」

と尋ねる夫の言葉を聞いて、ふと思いました。
私はあのバッグと過ごした2年間を黒歴史だと思っていたけど、じつは結構気に入っていたのかも。
すごく嫌だったのに、あのコインランドリー通いの日々が、今の自分を語る起点になっていた気がします。

でも、もういいかな。

そう思いながら、意外とあっさりそう思えたな私、と思っている私がいました。

そんなこんなで、このかごバックはさよならしました。
何も知らない夫が「なくても何とかなるもんだな」とか言っているのを聞くと、つい苦笑してしまうのですが、たぶんそのとおり。
なくても何とかなるでしょう。

でも13年間ありがとね、私のかごバッグ。

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帰国後に生まれた子供が、こんなふうにバッグで遊んでいたことも

 

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Miccaさん

研究職。本と旅と動物と、美味しいものが大好きです。 東京の端っこで、夫と恐竜大好きな娘、娘が恐竜の代わりに飼っているイモリと一緒に暮らしています。


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