同調圧力の意外なメリットとは?


同調圧力はいいものではありませんが、必ずしもマイナスなことばかりではありません。場合によっては、「安全が保たれること」もあるからです。
例えば、日本は「世間が目を光らせている」ところがあり、環境が整えられたり、ルール違反を抑制できたりするところがあります。例えば、「避難所では、みんなで奪い合うことなく、礼儀正しく並んで食事を受け取る姿に、海外の人が驚いた」なんて話もあります。
自分勝手な行動をする人に直接注意をしなくても、同調圧力によってみんなと同じような行動をさせられることもあるのです。

 

ただし、「みんなと同じ言動をすることの強要」が行き過ぎると、自粛警察が出現してしまうのが、難しいところです。残念ながら、多くの自粛警察の人たちは、良かれと思ってやっていますが、「愛と優しさを持っているのか」というと、そうとは言えないことも多いでしょう。
なぜなら、世間に迷惑をかけるかもしれない行為に対しては、正義感をふりかざして攻撃をしますが、困っている人に対しては、手を差し伸べない人も意外といるからです。
つまり、人に同調を求めながらも、“共同体”という認識を持っているわけではないので、相手の事情にはお構いなしで、“世間にとって都合のいい人たち”でいることを求めていることも少なくないのです。
だから、単なるわがままではなく、それなりの事情がある人が、自粛警察によって理不尽に傷つけられてしまうケースは意外と多く、問題になっているのです。

そもそも、なぜ同調圧力には、いい面と悪い面の両方があるのでしょうか。それは、同調が人と人との「調和の一種」だからと考えられます。
人と調和できるようになることは、精神の成熟として大切なことです。でも、単なる調和ではなく、“愛のある調和”であることが必須です。つまり、調和自体はいいことですが、同調圧力には「愛がない」から、悪い面が出てくるのです。
“思いやりや優しさの欠けた同調”は、差別やいじめを生んでしまいます。もしみんなとは違う意見、思想を持つ相手が調和を望んでいるのであれば、可能な限り折り合いをつけていくことが、「愛のある調和」だといえるのではないでしょうか。

世の中には、「本当の愛とは何か?」を分かっている人が多くないため、調和に「愛」が含まれず、同調しない人を排除し、精神的に追い込んでしまったりするところがあるのかもしれません。
だから、本来は、学校でも「愛について」、きちんと教えたほうがいいのです。生きる上で、そして人と関わる上で一番大事なことだからです。
少なくとも、「相手の立場に立って物事を考える」という思いやりを持てるようになることができたら、ただただ「みんなと違う」というだけで、非難したり、排除したりすることは減ってくるでしょう。

少なくとも私たちは、「同調圧力をかける世間の一員」にならないように気をつけたいもの。そのためにも、「生き方、思想の多様性を認められるようになること」が大切であり、さらに「世間が望むような行動をしない人であっても、その人なりの“個人的な事情”を持っている可能性がある」ことを理解できる、視野の広さと思いやり、そして融通が利く臨機応変さを持てるようになりたいものです。

そういう精神的に成熟した人が増えれば増えるほど、現在、日本で大きな力を持つ「ただただ同調圧力をかける世間」が消え、みんなで協力しながらも、「個を尊重できる社会」へと変わっていくのかもしれません。
私たちは、そんな思いやりのある世界を目指したいものですね。

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