眞子さまが民間人として働くためのキャリア形成【皇室のプリンセス教育】
東日本大震災ではボランティアとして現地へ
2011年3月11日、未曽有の大災害が東日本を襲いました。震災直後、いち早く上皇さまと美智子さまは大きな被害を受けた宮城、岩手、福島の被災地を7回も訪問されました。
宮内庁からも被災地に物資を送ることになりました。職員が那須の倉庫に行くと、すでに紀子さまをはじめ眞子さまと佳子さまが被災者におくるタオルの袋詰め作業をなさっていて、その素早い行動力に驚かれたそうです。
その夏、19歳の眞子さまはボランティアの一人として被災地の岩手県山田町と大槌町、宮城県石巻市で活動されました。まだがれきが残っていて災害の傷跡も生々しいころです。そのなかで被災した方のお話を実際に聞くこともあったといいます。
秋に成年をお迎えになった眞子さまは、記者会見でこう話されました。
「東京で関係者の方のお話を伺ったり、また、メディアの報道を通して、震災の状況について理解したように思っておりましたけれども、実際に行ってみないとわからないことがあると実感しました」
それまではご両親に連れられて現地に行っていた眞子さま。成長されてからは、ご自分の意志でその場所に行かれて、自分の目で確かめながら活動されるようになったのです。
美術と文化を学び、博物館学を修めた能力を活かして
眞子さまが中学生のころ、紀子さまが定例会見の席で、
「機会を見つけては一緒に博物館の展覧会に行きましたり、美術館に出かけましたり、また一緒に運動するようになりました。このように関心や趣味などを共有することができるようになってきたと思っております。……娘たちの成長をつくづく感じます」
とおっしゃっています。
とりわけ眞子さまは、展覧会にご興味を示されたようでした。そのご様子を見て、秋篠宮さまはある場所に眞子さまをお連れしたのです。眞子さまが中等科1年の夏休みのことでした。
そこは、古文書の修補作業場でした。宮内庁には書陵部(しょりょうぶ)という古い文書などの修繕をする部署があり、
「もしかすると、そういうものにも興味があるのではないか」
と思われた秋篠宮さまが、眞子さまをお連れしたのです。
ぼろぼろの古い文書が修復され、美しい形に整っていく――。
古(いにしえ)の人々の息遣いが感じられるその作業に、眞子さまは非常に興味を示されたといいます。
やがて眞子さまは、国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科に進んで美術・文化財研究を専攻し、学芸員の資格を取得します。卒業論文には、日本神話を題材とした絵画をテーマに選ばれました。
卒業後はイギリスの伝統校レスター大学大学院に留学して博物館学を修め、修士(博物館学)を授けられます。
その後、東京大学総合研究博物館特任研究員、さらに日本郵便と東京大学産学協働プロジェクトであるインターメディアテクの客員研究員に就任したのです。
眞子さまは英語が話せますし、日本で学芸員の資格を持つほど勉強していますから、アメリカに行っても美術関係の仕事ができると思います。
博物館学を修めている能力を活かして、日本の企業が運営する博物館に就職してもよさそうです。
また、アメリカには王族や皇族がいませんから、人々にとって皇族は大変な憧れの存在と聞きます。元皇族として講演の声がかかることもたくさんあると思います。
自分の意志で現地に飛び込んでいけるたくましさをお持ちの眞子さまです。きっとアメリカでも、立派にワーキングウーマンとして活躍されることでしょう。
キャプションは過去の資料をあたり、敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、その当時のものを使用しています。
構成/片岡千晶(編集部)
前回記事「美智子さまから眞子さままで...時代とともに変わる「皇室の結婚」を振り返る」はこちら>>
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