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美智子さまから眞子さままで...時代とともに変わる「皇室の結婚」を振り返る

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2021年10月26日、眞子さまがご結婚されます。筆頭宮家の内親王としてお生まれになった眞子さまは、上皇后美智子さまにとって愛おしい初孫です。

眞子さまは30歳のお誕生日を節目ととらえ、結婚して新しい生活を始めようとされているのです。

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ご結婚前に、武蔵野墓地を参拝される眞子さま。写真/JMPA

2017年9月に眞子さまと小室圭さんと婚約内定会見が行われてから4年の月日が流れました。長い道のりだったと思われる方も多いでしょう。
しかし、皇室の方々が結婚されるまでは、いつの時代にもそれぞれのドラマがあって長い期間がかかるものなのです。これまでのご結婚の例をお話いたしましょう。

 

政権争いに巻き込まれた皇后良子さまの「宮中某重大事件」


昭和天皇のお妃、良子(ながこ)さまも思わぬ事態に巻き込まれた方でした。
1916年(大正5年)、のちに昭和天皇となる裕仁(ひろひと)親王は15歳で皇太子となりました。その時には、すでにお妃選びが始まっていたのです。

当時、皇太子妃は宮家の姫か、五摂家(ごせっけ)と呼ばれる公家華族の筆頭5家の姫から選ばれるのがしきたりでした。
1918年(大正7年)、皇太子裕仁親王と久邇宮(くにのみや)良子さまがご婚約され、学習院女学部中等科を3年で退学して未来の皇后としてのお妃教育を受けることとなったのです。このとき、良子さまは14歳。
髪にリボンをつけた人形のように愛らしい振袖姿の写真が新聞を大きく飾りました。

ご婚約内定から2年後、元老山形有朋が良子さまの母方に目の病気があると指摘、「神聖なる皇統に遺伝してはならない」とご婚約を辞退するように迫ったのです。
これは「宮中某重大事件」と呼ばれ、明治維新から続く薩摩と長州の派閥争いの口実とされたのでした。

このとき、昭和天皇が、

「妃は良子がよい」

と主張されて事態は収まり、1924年(大正13年)におふたりはご成婚されました。ご婚約から6年という、気の遠くなるような年月が流れていました。


平民出身ゆえに旧華族からの激しい拒絶に苦しめられた美智子さま

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写真/講談社

1958年(昭和33年)、上皇さま(当時は皇太子明仁(あきひと)親王)と美智子さまのご婚約が発表されました。
美智子さまは大企業である日清製粉の社長令嬢でした。上皇さまと美智子さまは、テニスコートで出会って愛を育まれたのです。

上皇さまは、たくさんのお妃候補の中に美智子さまも入れてくれるように宮内庁に頼み込みました。そうして、リストからお妃候補のトップとして挙がってきたのが美智子さまだったのです。

しかし、皇后良子さまはお妃の第一候補の美智子さまが民間出身と聞いて驚き、その意外さに問い返されたといいます。良子さまご自身もそうだったように、皇太子妃は皇族である宮家か特定華族の五摂家から選ばれるものだったからです。

はじめての民間出身の皇太子妃候補だった美智子さまは「平民出身ではつとまらないだろう」と言われ、宮家や旧華族の方々からの激しい拒絶にあいました。
今からは想像もできないかもしれませんが、それはそれは大変な騒ぎでした。

上皇さまが美智子さまと結婚したいと意思表示されてから、ご成婚まで2年。さまざまな困難を乗り越え、美智子さまははじめての民間出身の皇太子妃となられたのです。

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1 写真/JMPA 2 写真/JMPA/光文社
3〜12 写真/宮内庁提供 13 写真/JMPA・講談社
14 写真/ JMPA・文藝春秋 15 写真/JMPA・主婦と生活社
16 写真/ JMPA・小学館 17 ​写真/ JMPA・主婦と生活社
18 写真/JMPA/小学館 19 写真/宮内庁提供
20〜28 写真/JMPA

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