回顧
「弘美、この前テレビ番組のクルージング旅行特集でコメントしてただろ? 部屋で見てて急に出てきたからびっくりしたぞ。編集長になったんだな、水臭いなあ、言えよーそういう楽しい話はさ」
「あーあれね、まあ雑誌の宣伝になるかなって思って出ただけよ。そういえばいつ放送したんだろ、見るの忘れてた」
「相変わらずだなあ、お前たち二人とも、昔から本と映画ばっかでテレビ全然みないもんなあ」
哲也の何気ない一言で、二人の間に沈黙が流れた。
哲也が、弘美の亡き夫にして、哲也の親友である彬のことを言っているのは明白だった。
そう、哲也と彬は、大学時代本当に仲が良かった。
弘美と彬が、大学を出て早々に24歳で結婚したとき、なぜか一番泣いていたのは哲也だった。花嫁よりおんおんと泣く新郎の親友に、出席者は大笑いしたものだ。日頃クールにも見える哲也の、友情の深さが、みんなの心を温めた。
「……ごめん。弘美といるとさ、もう完全に大学気分に戻っちゃうんだ」
「いいよ、全然。もう会社とか最近できた友達とか、私が結婚してたことも彬のことも知らないからさ。この気まずささえ懐かしいわ」
弘美は息をついてから頬を緩めると、ホタルイカの沖漬けをぱくっと食べた。
「なんであんな早く逝っちゃうかねえ、こんなうまいもんも食べないでさ」
哲也も独り言のようにつぶやくと、弘美と同じように沖漬けを口にして、ビールを飲んだ。
「そうだよねえ」
弘美は、ふと左の薬指を見る。26歳の頃に比べて節も目立つし、きっと指輪のサイズも変わってしまっただろう。
かつてそこにぴったりとはまっていた結婚指輪は、彬の指輪と並んで長いことしまわれている。
◆
哲也との食事から帰宅して、弘美はコートを掛けながら、ふとジュエリーボックスに目を留める。結婚指輪はまだ、そこにあった。
彬も弘美も一人っ子で、大学に入るために18で上京してきた。
都会のキャンパスに、知り合いはほとんどいなかった。当然単位の取りやすいクラス情報戦で出遅れる。第二外国語で気難しい先生のクラスになってしまい、早々に生徒が離脱、結果なんと5人になったとき、全員で顔を見合わせた。
これはなんとしても力を合わせて単位を取らなくてはならない、と。
その中に、彬がいた。哲也もいた。とりわけ3人はイギリス文学専攻も同じだったから、語学の少人数講義が多く、まるで高校生のようにいつも一緒に過ごした。旅のサークルにも一緒に入った。
その編成を、周囲は「英文のドリカム」と言って笑ったけれど、吉田美和的に中心にいたのは弘美ではなく彬だった。哲也は彬と男同士唯一無二の親友になり、弘美と彬はやがて恋に落ち、結婚した。
彬こそが、3人の要だった。ちょっととぼけていて、本が好きで、どこまでも優しかった彬。
その要がいなくなった日のことを、弘美は今でも唐突に思い出す。それは卒業してほどなく彼と結婚した日のことよりも、頻繁に、生生しく。
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