発想の転換


帰国後大学受験が迫っていたので、英語力と論文で決まる大学に志望校を絞りAO入試で合格しました。イチかバチかの大胆な作戦でしたが、武器を生かしたいい戦略だったと今でも思っています。

無事に大学生になり、ほっと一息。久しぶりの日本の学生生活を満喫しました。

でも、「ちょっと面白そう」と思い友人と応募したビジネスコンテストが、再び私を変えるターニングポイントになりました。

驚くことに、チームが学内1位に選ばれました。すると先生が「これさ、面白いから世界に出しちゃいなよ」と。とんとん拍子にテキサスで開かれた世界大会に出場、なんと優勝したんです。

 

内容は“携帯消毒ジェルのカプセル”のようなもので、手のひらで割るとばい菌が可視化され、刷り込むうちに消毒が完了するというもので、今思えば時代を先取りしていたかもしれません。

私はここで、それぞれの役割を担いながら、仲間と協働する楽しさを初めて味わいました。一人よりも仲間と何かをするのって不思議な相互作用があるし、自分の特技を生かせると達成感が倍増。

そして何より「意外に私って頑張れるのかも」と初めて感じます。大袈裟に言うと自己肯定感というか、自信の芽みたいなものが出てきたんです。

チームで英語が話せるのは私一人だったので、本番のプレゼンターとして前に立ったことも大きな経験になりました。

うまくいかなかった高校時代、必死だった留学時代を経て、大いなる一歩でした。「私ってダメなやつだ」と心のどこかで思っていたのが、やってみたら案外できるんだ、と素直に思えた。

この時の成功体験は、複業への挑戦に少なからず影響を与えています。

 


そして再びの暗雲


とは言え、急に何もかも順調になるわけもなく、新卒で唯一内定をいただいた国際教育事業の会社は社風が合わず、1年で退職しています。

そして次に入った会社で、人生最大と言っていい苦しい時期が始まりました。

外資系スポーツ用品メーカーで、150店舗の管理を任される本社勤務の営業職。私、このときまで知らなかったんです。売上の管理、数字を背負ってそれを追うという仕事が、当時の私にはまったくできない種類の仕事だということを。

コレは謙遜しているとか自虐ではなくて、まず売り上げを管理して、エクセルで仕上げていくことが向いていない。おおざっぱな性格も仇になったし、何より当時まだそのスキルも知識もありませんでした。

ようやく自信の芽みたいなものを育てた学生時代でしたが、それは根こそぎ覆りました。

原因ですか?……今思えば20代前半、私は仕事に対して甘かったんですよね。

今ならそれがわかります。それを認めることができます。

でも当時は、「一生懸命にやってるのに結果が出ない」「この仕事に向いてない」「社会人失格なんだ」と、毎日家で泣いていました。

そんな苦しい日々で、でも頭のどこかで少しだけ冷静な自分もいました。どうしてこんなに仕事がしんどいんだろう? 能力不足以外にも何か原因があるんじゃないかな? と。

その答えは、3年後その会社を成績不振のあまり自主退職したあと、次のステップで明らかになります。


次回はピンチの中で発想を転換し、必死で掴んだ次の仕事と、副業へのステップについてお話させてください。


深井瑛子さん
1988年生まれ、大阪府出身。中学からインターナショナルスクールに進学、高校1年時にアメリカ・インディアナ州に留学。慶應義塾大学総合政策部卒。
現在は広告会社に勤務するかたわら、独立に向けての準備として実家の事業を展開し、The Crafted GINZAを運営。来年から独立し、日本パラスキー代表チームの広報・通訳として世界大会に帯同予定。
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取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
写真提供/深井瑛子さん