フリーアナウンサー馬場典子が気持ちが伝わる、きっともっと言葉が好きになる“言葉づかい”のヒントをお届けします。

 

「言葉にうるさい」「てにをは、に細かい」「アクセントを言い直す」などが、アナウンサーの職業病の代表格でしょうか。
実際、まだ何も身についておらず、常に言葉にアンテナを張っていた若い頃は、自分だけでなく、人の話し方や言葉遣いも気になって仕方がありませんでした。

 

あの頃に比べたらずいぶん丸くなったのですが、なかなか職業病は治らないようで……
今でも、放送上の言葉遣いには、細かなことにもピクッと反応してしまいます。
たとえば、接続助詞の「が」がずっと気になっています。

1つ目は、スポーツニュースで試合を振り返る映像中の「が」。
結果を知らずに、結果を楽しみに見ている時、「後半◯分、追いつきたい◯◯でしたが…」とナレーションが入っていると、追いつけなかったことに、いち早く気づいてしまいます。
「追いつきたい◯◯、」とした方が、ほんの数秒でもワクワクや臨場感が持続するのにな、と思ってしまいます。

2つ目は、「病院に運ばれましたが、」というフレーズ。
「病院に運ばれましたが、」と聞くと、どうしても「意識不明の重体です」などの言葉が過ってしまって、鼓動が速くなります。
その都度、胸がギュッとなって、「命に別状はないということです」と聞いて、少しだけ胸を撫で下ろす。ということを繰り返しています。
結果を楽しみに待ちたいスポーツニュースとは反対に、無事かどうか心配な時、そして無事な時には、「病院に運ばれ、命に別状はないということです」という原稿だと、個人的には心臓の負担が軽くなるかも……と毎回感じています。

接続助詞の「が」には
1、逆説を示す接続助詞
2、単純接続を示す接続助詞
という2つの役割があります。

特に結果を伴うニュースの時、単純接続として使われている「が」を、私は本能なのか早とちりなのか、逆説として受け取ってしまう癖があるようで、一喜一憂してしまうのでした。

カラオケで「滑舌良すぎて曲が入って来ない」と言われたのも職業病でしょうか。


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