パラダイムシフトの今、「美の価値観」を刷新し続けてきた美容ジャーナリスト齋藤 薫さんが、注目したいある視点をピックアップします。

 


意地悪な人や、傲慢な人が、褒められているような気分になってはマズイ


「嫌われたっていいじゃない。別に“いい人”って思われなくたって。“いい人”でいることなんてやめてしまえば?」

以前からこうした提案がたびたび注目を浴びてきました。
言うまでもなく、「ストレスを溜めてしまうから」という、心理学の立場からの提案。これはよくわかるのです。他人からの評価を気にして”いい人のフリをする”のは、メンタルに負担をかけるだけだから、無理する必要などないという考え方があるのは。

でも多くの人は、この提案をキャッチだけ見て、本来の意味合いとは違った理解の仕方をしがちです。“いい人”じゃない人が、これ幸いと自分を肯定してしまうような。意地悪な人も、傲慢な人も、常に不機嫌な人も、いっそ褒められたような気分になって、明らかなその欠点を堂々と増幅させかねないということなのです

ましてや、日頃世間から「いい人」と言われている人は、何だか肩身の狭い思いをするはず。別に無理しているつもりはない、根っからのいい人が、人に嫌われないため、好かれるためにこそ、わざわざいい人をやっているように見られてしまう危険をも孕んでいます。それこそ、“いい人”が後ろめたさを感じてしまうという……。

確かに、難しいこと。実際、“いい人のフリ”をしている人は少なくないはずですが、その中にもいろんな意図を持った人がいます。本当に嫌われたくなくて、無理して“いい人”をやってストレスを溜めている人もいれば、もともと全然“いい人”じゃないのに、得をしたくてフリをしている偽善者的な人もいて、本質的にこの2人は全く異なるタイプ。前者には「無理をしないで」と言ってあげたいわけですが、後者はそもそも決して近づきたくないタイプ。

 


でも1番多いのは、人として正しいから”いい人“になりたいグループ
 

でももうひとグループ、心底“いい人”になりたくて、“いい人”を目指して頑張っているというタイプもあるはずなのです。つまり、別に無理しているわけではない、人としてその方が正しいから“正しく生きよう”としているだけ。だからむしろ、“いい人”になれないことにストレスを感じる人たちなのではないでしょうか。

従ってこのタイプは、まだ”いい人“予備軍だったりして、時と場合で”いい人“になれたりなれなかったり、その境界線を行ったり来たりしているはずですが、あくまでそうなろうと努力をしている、それ自体とても尊いこと。そしておそらくは、この3番目のタイプが世の中1番多いはずなのです。

そういう志の高い人たちまでが、後ろめたさを感じたり、本当は”いい人“になる必要なんかないのではないかと思ってしまうのは、あまりに残念。心から「いつしかちゃんと、”いい人“になりたい」と思っている人の気概をくじくのは、明らかに間違っていると思うのです。

何より、社会としてもったいない! 世の中からいい人が1人でも減るのは、紛れもなく社会の損失です。いい人ばかりの世の中なら、誰も傷つかず、誰も憎まず憎まれない、どう考えても平和しかありえない社会になるのですから。