「稼げない人間はいらない」

16年間の夫婦生活に終止符を。41歳で離婚した女性の、専業主婦からの脱却_img0
 

離婚した時点ではフルタイムでも正社員でもなく、ワイン販売のバイトをしている状態でした。その状況でも迷いなく離婚に踏み切れたのは、貯蓄があったということも大きいですが、それまでの人生でも、仕事と人の縁だけには本当に恵まれてきたので、「きっとなんとかなる。大丈夫」という自信があったんです。

 

たとえ仕事がない時期でも、「今はきっと待つ時期なんだ」と、ポジティブに構えていました。

実際その後も、サカキラボに運良く就職できたものの、かなりのブランクがあった上に、なかなか社風に馴染めず、本当に辛くて……。最初の頃は、毎日のように心の中で泣いていました。

しかも経理などの事務で入ったはずなのに、会社が求めているのは「ただ事務をこなす人間」ではなかったんです。

ひたすらやるべき事務作業を淡々とこなす日々を続けていたら、社長からお咎めをくらって。「うちは稼げない人間はいらない。この仕事は向いてないから、いつでも辞めてくれていいよ」と言われました。

でもそもそも、事務で雇われたはずだし、私も負けん気だけは強かったので、どんなに辛くても屈しなかったんです。それを見かねた社長から、ある時「じゃあ何か得意なことあるの?」と問われ、自分の強みって何だろう? と初めて真剣に考えました。

実はアメリカ時代からブログをずっと習慣的に続けてきて。昔から何かを書き溜めたり、書き続けることだけは自信があったので、そういう記事を作ることならできるかも、と思いました。すると社長があるウェブサイトを作ってくれたんです。

当時は丸の内に会社があったこともあって、何か丸の内に関する情報を発信するサイトをやってみたら、という話になりました。

それで『丸の内体育会美食部』という、丸の内の飲食店を紹介するウェブサイトができあがりました。

丸の内にあるお店をひたすら自腹で巡って(笑)、数百件の記事をコツコツ書き溜めていったんです。たとえ誰も読んでくれていないとしても、とにかく書き溜めることが私の特技でした。

また、私はもともと“食”への関心が強いんです。ワインと食が本当に好きで、海外駐在中も、ワインと食がきっかけで友達の輪を広げていました。香港にいた時も一人でいろんなお店巡りをしたし、ワインエキスパートの資格をとったのも、香港で知り合った知人のおかげでワインを飲む機会が増えたから。アメリカにいた時も、食に興味がありそうな人が集まる料理教室に行き、情報収集をしていました。

そのうちにサイトがテレビ番組『あさイチ』の目に止まったらしく、取材の話が舞い込んできました。実はサイトを立ち上げるにあたり、最初に社長と立てた目標が「メディアに取材されて、テレビに出演すること」。サイトを立ち上げて、1年半頃のタイミングでした。

それまで「辞めてもらっても構わない」とまで言っていた社長の態度も柔らかくなり、ようやく自分の居場所がここにある、と思えた瞬間でした。

 

ようやく自分の居場所を見つけられた杉浦さん。次回は40代で就職した未経験の業種で、どのように成長を遂げていったのかを語ってもらいます。
 

構成/山本理沙