胸部X線は肺結核発見のための検査だった


健康診断の歴史について振り返ってみたいと思います。日本の健康診断は1912年の工場法が始まりと言われています。当初問題となっていたのは、現場で蔓延する結核や赤痢といった感染症。こういった感染症の蔓延を防ぐことを主目的に健康診断が始まりました。この歴史的背景はちょっとしたポイントです。

その後、1972年には労働安全衛生法が制定され、肺結核の早期発見のために一律胸部X線検査が行われるようになりました。また、感染症以外の病状の把握も重要視されるようになり、貧血や肝機能をみる血液検査と心電図検査が1989年に項目追加となりました。さらに、ここ10年ほどでいわゆる生活習慣病の広がりを受けて、HDLコレステロールや血糖検査、腹囲とLDLコレステロールの測定が追加されています(参考文献1)

ここに背景となる科学的根拠があったかというと十分な根拠は見つからず、有識者による合意形成の上で決定されたものと考えられます。

確かに、健康診断で胸部X線が開始された1972年、肺結核の罹患率は10万人あたり139人で、現在の10倍を超える人数が肺結核に罹患する時代でした(参考文献2)。十分に検証されているわけではありませんが、罹患率の高い時代に検査を行うというのは、理にかなっていたのかもしれません。しかし、罹患率が低下している今もなお、同じ検査が有効かは不明です。

 

胸部X線は肺がんの早期発見になるのではないか、という視点で捉えられることもあります。しかし、肺がんのスクリーニングとしての胸部X線についてはこれまで少なくとも6つの大規模ランダム化比較試験でその有用性が否定されており(参考文献3)、アメリカや欧州諸国では、肺がんのスクリーニング検査として胸部X線検査は推奨できない、としています(かわりに、特定の年齢のリスクのある人に低線量肺CT検査を行うことが推奨されています)(参考文献4)

 

欧米では心電図検査は推奨されていない


歴史的背景とエビデンスのギャップは、他の検査にも見られます。例えば、心電図検査についても、臨床試験において無症状のリスクの低い健常者に行うことに有用性が確認できず、アメリカや欧州諸国で「推奨できない」とされています(参考文献5)

そもそも健康診断のエビデンスは、何をもって確立できるのでしょうか。これは、ある抗がん剤に「十分なエビデンスがある」という時と同様です。例えば、抗がん剤なら、その薬剤が偽薬あるいは既存の治療薬と比較して、患者さんの死亡率が低下する、あるいは少なくとも同等であるということを臨床試験で示す必要があります。

これと同じように、健康診断でその検査をした人としなかった人を比較して、検査をした人で(病気が早期に発見され治療されることで)死亡率が低下する、という結果が示される必要があります。

しかし、容易に想像できることだと思いますが、健常者の死亡率はそもそもがん患者さんのそれと比べると非常に低いので、差がつきにくいのです。その分、より多くの人数を長期にわたって観察する必要があります。このため、病気を持った人で行う研究よりもはるかにハードルが高く、このような試験は実現の可能性が低くなってしまいます。

それでも欧米諸国では国際共同試験などというかたちで多数の参加者を集めた臨床試験が行われていますが、日本にはそのような土壌があまりなく、現在のところは残念ながら他国のエビデンスを借りてきているような状況です。もちろん、アメリカ人のデータが日本人に適応できるのか、という疑問はごもっともで、人種によって結果が異なることは十分にあり得ます。