先ほど説明したように日本では医療に対して公的保険が適用されますし、重篤な病気の場合には高額療養費制度がありますから、限りなく低い自己負担で治療を受けることができます。しかし、医療費こそ安価ですが、入院すれば食事には一定の自己負担が求められますし、家族の往復など何かと費用がかかります。

生活困窮者の場合、こうした費用の捻出が難しい場合があり、経済的な事情で在宅医療にせざるを得ないケースもあるようです。そうなると、患者の家族に著しい負担がかかり、かえって医療や生活の質を下げてしまいます。

 

十分なリソースがないまま在宅医療を増やしてしまうと、医師や看護師の負担が大きくなるという問題も発生します。日本はもともと医療のリソースが貧弱で、医師や看護師は、欧米各国と比較して3倍の患者を担当しなければなりません(これは全員がほぼ無料で高度な医療を受けられることの裏返しとも言えます)。病院であればひとつの施設内ですから、急変などもすぐに対応できますが、在宅医療の場合、医師や看護師の負担はさらに大きくなります。

 

筆者は親をがんで亡くしていますが、多くのがん患者と同様、自宅ではなく病院で息を引き取りました。がんの終末期になれば、基本的に体力が衰えていくというプロセスに入りますから、医療の負担はそれほど大きくないように思えます。しかし現実はそうでもありません。夜中に容体が急変して呼吸が苦しくなることがよくありましたし、痛みが激しくなって、一時的に鎮痛剤の投与を増やすこともありました。

病院であればすぐに医師や看護師が来てくれますが、在宅の場合にはそうはいきません。できる処置も限られてしまうでしょう。医療はケースバイケースですから一概には言えませんが、実際に家族を看取った経験からすると、在宅でのケアは簡単ではないというのが率直な印象です。

今回の事件の加害者は、生活に困窮していたと報道されており、一方、亡くなった医師はコロナ危機による人手不足もあり、1人で対応するケースがあったといわれています。事件の詳細が分かりませんので、あくまで一般論ということになりますが、今の状況で在宅医療を一方的に拡大すると、多くの問題が発生するのは間違いありません。

多くの人が病院にはあまり行きたくないと考えているでしょうし、筆者も理想を言えば自宅で最期を迎えたいと思います。しかし、在宅医療を円滑に進めるには相応のリソースが必要であるのもまた事実です。

この話は医療費全体の問題に関係していますから、単に患者の意向だけで決められるものではありません。どのように尊厳ある死を迎えるのか、その費用は誰が負担するのかという問題について、もっと国民的な議論が必要でしょう。
 


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