あと30年遅く生まれていたら、老化は治療できたかもしれないのに
もちろんそれは、単に見た目の問題ではなく、人生を100%生き生きと、なるべく華やかに生きてほしいという思いの表れ。それが人生終盤を生きる人の幸せの糧だと思ったから。
ただ、鏡に映る自分が見るからに老けていたら、人間、心の華やぎも幸福感もなかなか感じられないはずだから、精神的な若さを引き出すためにこそ、見た目の若さを作るべく、あれこれと口を出してきました。1日家にいる日でも、きちんと身繕いして、薄化粧して、髪も整えてと。
年齢の割には随分と若々しい母親ですが、それでも、母親世代の衰えは早いのです。ある段階から私は、口うるさい鬼娘をぱったりやめました。じつは、母親に年齢なりの認知が始まったからなのです。
気づいた瞬間、もっと大らかに、母親が心地よさを感じられる支え方をしなければと気づいたから。
また、これだけ抵抗していても、やってきてしまう老いを目の当たりにした時、改めて思いました。母親もあと30年遅く生まれていたら、新しい時代のアンチエイジングに間に合ったかもしれないのにと。
いや、厳密に言うなら“アンチエイジングの時代”はそもそももう終わり、最近よく聞かれるように「老化は宿命ではなく“病気”である」という考え方が、今急速に1つの常識になりつつあります。病気だから、老化は治せるのだという。
今これを読んでくれているミモレ世代は、それに充分間に合うはずです。老化を治療できる時代に。容姿の衰えばかりではありません。むしろ体や脳の衰えこそ、“病気”の1つだから治療できるという時代に、ミモレ世代は間に合うのです。
それこそあと10年もすれば、衰えを病気として回避するための具体的な方法を得ることができるとまで言われているのですから。
でも母親世代は、美容医療はもちろんのこと、シワを消す化粧品もなかったわけで、いかなる手段をもってしても、運命を変える事は難しかった時代の人たちです。
だからせめても、私たち世代が母親世代に若々しい見た目を提供して、毎日溌剌として生きるための、精一杯の協力をすべきなのではないかと改めて思ったのです。出来る限りのエイジングケアコスメを用意して、肌にも心にもハリを与え、希望を与えてあげたいと考えたのです。
そこで今は、厳しくではなく優しく、若さの強要ではなく手助けをしています。そしていつも褒めてあげるのです。「とってもキレイ」と。
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