パラダイムシフトの今、「美の価値観」を刷新し続けてきた美容ジャーナリスト齋藤 薫さんが、注目したいある視点をピックアップします。

 


母親に冷たく当たる娘世代の葛藤


外出先のパウダールームで、何があったのか、高齢の女性を娘らしき人が叱っているような場面に出くわしたことがあります。あんな言い方をしなくてもいいのにと、自分と同年代の娘らしき人に少し腹が立ったほど。

そういう光景を目撃するのは初めてのことではなく、同じような年齢の娘世代が、少し苛立ったように母親と接している姿を見かけるのは、じつは少なくないのです。当然のこととして、そのたびに胸が痛くなります。なぜあんなに冷たくなれるのだろうと。

とは言えそれは、母親世代を気の毒に思う以上に、娘側として自分もその立場になったら、同じようになるのではないか? そういう不安で胸がチクチクと痛んだということなのかもしれません。ただ自分は絶対ああはならない、あんな言い方はしないはと、そうした場面に出くわすたびに心に誓っていたのを覚えています。

前回、「母親が年老いていくことを、どうしても受け入れられない鬼娘がしたこと」では、ずっとヒールのある靴を履いていたような母親が、目に見えて年老いていくことをどうしても容認できず、まるで自分の都合で子供をどうしても希望校に入れたい教育ママのように、「もっと背筋を伸ばして」などと口うるさく言う鬼娘になっていたという話をしました。

その後、母親にも少し年齢なりの認知の変化が始まっているのに気づいた日から、厳しい指導をぱったりやめたものの、そこからまた新たな葛藤が始まり……。母親の老いを認めたくないという意識が和らいだわけではなく、今度は母親の“脳の衰え”に対する苦悩が始まってしまったのです。

 


覚悟はしていたのに大きく動揺、そして再び頭をもたげた鬼娘


母親の認知症が始まるということがどういうことなのか、実は友人たちからいろんな形で聞いていました。ある年齢からは、同年代の友人達と会うたびに親世代の話になり、一体何が起きるのかを具体的に教えられていたのです。そうこうするうちに自分の母親も同じように少しずつ、認知機能の衰えを見せるようになるわけですが、予想外だったのは、自分自身の変化。ちゃんと覚悟はしていたのに、大きく動揺していました。

不覚にも、この親に限ってそんな風にはならないはずと、どこかでタカを括っていたのかもしれません。外向きには優しく見えても、娘にとっては厳しい母親であり、こんな必要以上にしっかりした人が、そうなるという想像がつかなかった上に、それをどうしても容認できない鬼娘が、再び頭をもたげてきたのです。

一番ショックであったのは、昨日何を食べたか覚えていない日が多くなっていったこと。毎日のように、昨日は何を食べた? 昼は? 夜は? と、いちいちチェックをするようになりました。その場で思い出させないと、記憶力はどんどん衰えると何かで読んだから。でも思い出したり、思い出さなかったり。しかも認知症が始まる頃、人はそれを隠そうとします。だから母は母で、たまたま忘れたのだというふりをし、私は私で、母が忘れたことに苛立っていないふりをする……奇妙な駆け引きがありました。