仙台市は全国的に見ても人口流入が多い地域で、毎年、多くの人が外部から仙台にやってきます。地元にいる筆者の知人によると、最近、仙台に越してきた人たちの中には「津波など想像もしていなかった」と話す人が多かったそうです。もし2011年の地震発生時、78年の時と同じくらい津波の概念が社会で共有されていれば、もう少し犠牲を減らせたのではないかと考えると、本当にいたたまれません。
 
チリ地震津波から宮城県沖地震までは18年の時間差ですが、宮城県沖地震から東日本大震災までは33年が経過しており、チリ地震津波を起点にすると51年も間隔が開きます。筆者の父の証言からすると、18年間は災害の記憶が社会に残っていたようですが、30年が経過すると、一連の記憶は相当、薄れてくると考えるべきでしょう。

津波によって生徒と教師合わせて84人が犠牲になった、宮城県石巻市の旧大川小学校の前で花をたむける女性。写真:UPI/アフロ

先日、テレビ番組で、当時の記憶を小学生に伝える「語り部」の活動をしている大学生が紹介されていました。こうした取り組みは本当に大事なことだと思います。

 

ひたむきに活動に取り組む若者に感動した人も多いと思いますが、もし一連の取り組みに心を打たれた人は、ぜひ、もう一歩踏み込んで、現実的な支援ができないかと考えてください。震災を語り継ぐ活動をしている人たちにも、自身の生活というものがあります。結婚や就職、転職などで生活環境が変わっていくのは当たり前のことです。場合によっては、活動ができなくなる人も出てくることでしょう。

こうした時、仕組みとして震災を後世に伝える体制が出来上がっていれば、後を引き継ぐ人がいますから、その後も活動を継続できます。先ほど述べたように、震災の記憶を伝えるという活動は、多くの人の記憶が薄れていく20年後、30年後がとても大事です。長期間にわたって活動を継続するには、組織が必要ですし、相応の資金がなければ組織を維持することはできません。

日本ではボランティアというのは、お金をかけずにやるべきだという価値観が一部に存在しており、慈善団体などにお金が集まりにくいという面があります。物事をしっかりと実施するには最低限のお金が必要であることは言うまでもありません。「感動」だけにとどめず、「具体的な支援」というところにつなげることができれば、このテーマに限らず多くの社会問題を解決できるのではないでしょうか。
 


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