日本時間の3月28日に開催された、第94回アカデミー賞授賞式。輝かしい映画の祭典で暴力が振るわれるという、前代未聞の事件が起こりました。俳優のウィル・スミスが、プレゼンテーターのクリス・ロックに妻のジェイダ・ピンケット・スミスの容姿を侮辱され、クリスに平手打ちをかました一件は、一夜明けてからも様々な論争を呼んでいます。

この報道を見ていない方にご説明すると、長編ドキュメンタリー映画部門のプレゼンターを務めたクリス・ロックが、壇上で女優のジェイダ・ピンケット・スミスの坊主頭について、「『G.I.ジェーン2』で観られるのを楽しみにしてるよ」と発言。映画『G.I.ジェーン』では、デミ・ムーア演じるアメリカ海軍の女性大尉が、髪を短く刈り上げるシーンがありました。しかしジェイダは2018年、脱毛症を告白していて、彼女は抜け毛に悩んだ挙句、頭を丸めるという選択肢を選んだのです。

写真:REX/アフロ

この発言に即反応したのは、ジェイダと共に客席にいた夫のウィル・スミス。最初は観客のリアクションに合わせて笑っていたウィルですが、ジェイダがクリスの発言に悲しい表情になったことに気づくと態度は一変。迷わず壇上に上がり、クリスのことを大きく平手打ち。マイクが音を拾うほどの強打に、クリスは唖然。

写真:ロイター/アフロ

ステージを去っていくウィルに、「ウィルに殴られちゃったよ」と軽口を叩いていましたが、怒りの収まらないウィルは席についてからも「俺の妻の名前を口にするな!」などと、放送禁止用語を使ってクリスを罵倒し続けました。

 

ウィルが殴った直後にテレビ中継の音声はオフになり、放送も一時中断されるなど、現場は大混乱。最初はシナリオ通りなのかと思って笑っていた観客席のセレブたちも、困った表情に。そして皮肉にもその直後に、ウィルは『ドリームプラン』で人生初のオスカーとなる主演男優賞を受賞したのです。

この映画でテニス選手のセリーナ&ヴィーナス・ウィリアムズ姉妹の父親、リチャードを演じたウィルは、受賞スピーチで「リチャード・ウィリアムズは家族を守る人でした」と、自分とリチャードを重ねるかのようにコメント。さらに、会場ではデンゼル・ワシントンに『気をつけろ。人生最高のときに悪魔はやってくる』と助言されたことを明かしました。

“ビンタ事件”の後、ウィル・スミスに声をかけるデンゼル・ワシントン。写真:ロイター/アフロ

デンゼルの言葉通り、人生最高の初オスカー受賞のタイミングで怒りに任せて公の場でクリスを殴るという失態を犯してしまったウィル。しかし、愛妻家で知られるウィルが、公衆の面前で妻を侮辱され、黙っていられるわけがありません。妻の尊厳を守るために、ウィルは戦ったのですね。

『ドリームプラン』での主演男優賞受賞がアナウンスされた瞬間の、ウィル・スミスとジェイダ・ピンケット・スミス。写真:ロイター/アフロ

実はクリスの発言の前にも、プレゼンテーターの一人のレジーナ・ホールが、ウィルとジェイダのオープンマリッジをネタにしていました。レジーナはハリウッドのセクシーな俳優たちの名前を挙げた後に、「ダメね、みんな結婚してるわ。あ、待って、ウィル・スミスがいるじゃない。彼だったら、結婚しているけどジェイダは許してくれるみたいだし、いいかも」。

ジェイダは2020年に20歳年下のミュージシャン、オーガスト・アルシナと不倫の関係だったことを認め、その後の2021年にはウィルも、「結婚外で関係を持ったのは妻だけではなかった」と、自分も浮気していたことを仄めかす発言をしています。

せっかく今までのキャリアが実を結び、主演男優賞にノミネートされて誇らしい気持ちで授賞式に出席したのに、壇上から何度も自分と妻を馬鹿にされるような発言をされて、ウィルもイライラしていたのかも。なんにせよ、ボディ・ポジティブ・ムーブメントが盛んな今の時代に、人の見た目をいじるような笑いは、無神経で時代遅れとしか言いようがありません。

主演男優賞の受賞スピーチでウィルは、アカデミー賞という場でこのような騒ぎを起こしてしまったことについて謝罪。「僕はまたこの場に呼んでもらえますか?」とジョークを交えてスピーチを終えました。

涙をこぼしながらスピーチするウィル・スミス。写真:AP/アフロ

ウィルが取った行動について、世間では賛否両論。事態を重く見た、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーは、緊急オンライン会議を召集。「アカデミーは昨晩の授賞式でのスミス氏の行動を非難します。この件について正式な調査を開始しました」との声明を発表しました。これを受け、ウィルはインスタグラムで謝罪コメントを投稿。

「クリス、私は公の場であなたに謝罪します。私の行動は一線を超えていたし、間違っていました。暴力はどんな形にせよ、有害で破壊的なものです。昨夜のアカデミー賞授賞式での私の振る舞いは、受け入れられるものでも許されるものでもありませんでした。私に関するジョークはあなたの仕事の一環でしたが、ジェイダの病気についてのジョークは私には耐えられず、感情的に反応してしまったのです」。

ウィルを「妻の尊厳を守った勇気ある行動」と称える声もあれば、L.A.タイムズ紙のように「ハリウッドの黒人の栄誉ある夜を汚した」と厳しく批判する声も。また、同業者のミア・ファローのように「ジョークはクリスの仕事」とツイートし、ジョークを笑って流せないウィルが大人気ないという意見のようなものから、「ジェイダは自分の尊厳くらい自分で守れるのに大きなお世話」という、フェミニズムの観点からの論調もある様子。

私が腑に落ちないのは、暴力はいけなくて、暴言は許されるという奇妙なダブルスタンダード。現に、ここまでクリスはひとこともウィルに対して謝罪の言葉を発していません。言葉ひとつで人を殺すことだってできる、それくらいに言葉の破壊力も大きいはずなのに、です。

アメリカのスタンダップコメディは風刺の効いたジョークを飛ばすものなので、ブラックジョークについて寛容だという空気も今回の背景にはあるのかもしれません。というのも、クリスは2016年のアカデミー賞でもアジア人を馬鹿にするような発言をして、物議を醸したことがあるのです。笑いを取れれば、人の心を傷つけてもいいというのはいじめと全く同じ心理。それが平然とまかり通る社会って、怖いなと感じます。

ここまで散々me too運動やボディ・ポジティブに声を挙げてきた近年のハリウッド。今回の対応で、その真の姿が明らかになる気がします。果たしてハリウッドは本当に変われたのか? そして真の正義とは? いろんなことを考えさせられる授賞式となりました。


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