エンタメでもビジネスでも変わらない、人を喜ばせたいという気持ち

バンドから会社経営へ。40代中盤を過ぎて迎えた、大胆すぎるキャリアチェンジ。ビジネスマンとしてはまだまだ新米かもしれません。けれど、30年以上もの間、芸能界の一線で活躍してきた経験が確実に活きていると国分さんは感じています。

「たとえば、去年から丸亀製麺さんと『うどんで日本を元気にプロジェクト』をやらせてもらっているんですけど、頼まれてもいないのにオリジナルキャラクターを描いたんですよ、僕が。丸亀製麺にキャラクターがなかったことに驚いて、『こんなの描いたんですけど、どう思いますかね?』って。そしたら、社長さんが喜んでくれて、そのまま採用になって。そこから『お名前総選挙』と題してTwitterで投票を行って、『まる亀ちゃん』という名前に決まりました」

 

現在、進めている『TOKIO to Orange』プロジェクトでも、すでに国分さんの企画力は光りはじめています。

「Orangeさんは『おうちソクたび』という全国各地、旅先のお土産など名産品をその土地のストーリーと一緒に1箱に詰め、土地の魅力と旅気分を届けるというサービスを提供しているのですが、今回はこのプロジェクトのための、オリジナル段ボールのプロデュースをやらせてもらっています。大事にしたのは、届いたときのワクワク感。今ってインターネットで何でも買える世の中。便利だけどその分、注文したのも忘れて、届いたときには『あれ? 何頼んだっけ?』となりがちじゃないですか。だからこそ、注文してから実際に商品が届くまでの間もワクワクが持続するような、頼んだ人が思わず早く開けたくなるような段ボールを、今、企画中です」

こうしたアイデアの根底にあるのが、長年の芸能活動で培ったエンターテイナーシップです。

「僕たちは人を喜ばせるのが得意なんです。それはやっぱりずっとコンサートやいろんな場で人を楽しませるということをやってきたから。企業のみなさんは商品の味を追求したり、サービスの質をより高めるために情熱のすべてを注いでいる。そこに僕たちがエンターテインメント性を加えることで、より多くの人により商品やサービスを楽しんでもらう。それが僕たち株式会社TOKIOにできる付加価値かなと思っています」

 

そう言って、国分さんはかけがえのない“恩師”の名前を口にしました。


「この人を喜ばせたいという気持ちは、間違いなくジャニー喜多川から学んだこと。ジャニーさんはいつも人を喜ばせることに一生懸命でした。エンタメとビジネス。確かにフィールドは違うけど、形が変わっているだけで、僕らのやっていることは今も昔も変わらないのかなという気がしています」

株式会社TOKIOはまだ1歳になったばかり。学ぶことも、覚えることも、まだまだたくさんあります。だけど、きっとこれからもたくさんのワクワクするアイデアがここから生まれてくるはず。ステージ上でも、プレゼン中の会議室でも、気持ちは同じ。一流のエンターテイナーシップで日本を笑顔にしていきます。

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国分太一 Taichi Kokubun
1974年生まれ、東京都出身。1990年にTOKIOを結成、1994年9月にシングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。以降、歌、バラエティ、ドラマ、ラジオなど多岐に渡り活躍。今や国民的長寿番組となった「ザ!鉄腕!DASH!!」をはじめ数々の人気番組に出演するほか、情報番組、スポーツ中継等で司会も務める。2021年に株式会社TOKIOを設立、取締役副社長・企画担当に就任。芸能活動と並行して、企業や自治体と協働した地方創生事業を展開している。
Twitter:@tokioinc_taichi


撮影/塚田亮平
スタイリング/九(Yolken)
ヘアメイク/野中真紀子(eclat)
取材・文/横川良明
構成/山崎 恵

 

第1回「TOKIO・国分太一さんと考えるセカンドキャリア論「バラバラの点と点も、いつかつながって線になる」」>>