100万円払ったあとの、正直な感想
「先生、このほっぺに入れた糸、半年くらいで溶けてなくなっちゃうんですよね……? そうしたらまた入れて、を繰り返していかないと、どのくらいでまたたるんじゃいますか?」
里香が、おずおずと尋ねると、優子は残念そうな表情を浮かべた。その顔を見るだけで、放置するわけにはいかないのだという気分になる。
「そうですね。もしさらに抜本的な解決を目指すのであれば、皮を切って引っ張り上げるのが一番です。このクリニックだと難しいので、いつでも信頼できる手術できるところを紹介できますよ」
「いや、それは今のところまだ怖いので大丈夫です!」
里香は震えあがって腕をバツにした。ときどき海外の女優さんでそういう施術をしたのかなと思うことがあるが、あれはハードルが高すぎる。きっと入院しなければならないだろうし、そうなれば慶介にも気づかれてしまうだろう。10歳年下の女と浮気をしていることはバレていないと思っているのか、帰宅はどんなに遅くなっても外泊はしない。深夜1時になろうとも帰ってくることで、ギリギリ夫婦の体裁を保っている。
「里香さん、この半年でもう充分キレイになりましたよ。心配しすぎないで、それよりもせっかくですからオシャレやメイクを存分に楽しんでくださいね。自信をつけるためにいろいろな施術をご紹介したんですから」
里香は、優子のその言葉をきいて、結局のところ恵まれている彼女は何もわかっていないと思った。ドーピングでちょっとくらいマシになったからと言って、お金をかけなければすぐに戻ってしまう。
胸に湧き上がるのは自信なんかじゃなくて焦燥感だった。
ガタン、と玄関で音がした。
「慶介?……お帰り」
時計を見ると23時。残業にしては遅い。デートだったのだろうか。そこまで咄嗟に考えて、里香はそんな自分と夫の関係性にがっかりした。
「おー、ただいま。まだ起きてたの? 珍しいじゃん」
ヘロヘロ、という様子でバスルームに行き、シャワーを浴びる音がする。浮気の証拠を消したいのか、里香と話すのを避けたいのか。のぞみどおり早々に寝室に移動しようとすると、意外なことに慶介はすぐに出てきた。入れ替わりになるのもわざとらしい。里香はとりあえず「お茶淹れるけど飲む?」と訊いてみた。
「おー! 飲む飲む。今日は新しく異動してきた部長の歓迎会でさ。疲れたわ」
スウェット姿でソファに身を投げ出す慶介は、40歳という実年齢よりも若く見えた。お疲れ様、という言葉が自然にでかかったが、今夜も浮気相手と会ってきたのだとしたらあまりにも滑稽な気がしてやめた。
自然に胸に湧く優しさも情愛も、行き場がないってなんて哀しいんだろう。
「……犬でも飼おうかな」
お茶を淹れながら、思ってもいなかった言葉がこぼれる。淋しい、という代わりの精一杯の表現。
「うーん、里香も俺も忙しくて、わんこが可哀想で飼えないねえ。もっと仕事が落ち着いたら、そのうちなあ」
「そうだよね」
そのうち。そのうちがあるんだ。少なくとも、しばらくは私と別れる気はないということ?
夫に言いたい言葉のすべてを飲み込んで、里香は微笑むと、お茶を差し出した。
結局慶介は、里香の頬の位置が少しずつ上がっていることにも、まだ気が付かない。
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