沖縄で生まれ育ったヒロインとその兄弟が、心優しい母の愛情を受けながら成長する姿をつづる連続テレビ小説『ちむどんどん』。明るくさわやかな王道的朝ドラかと思いきや、回を重ねるにつれて規格外の描写もいくつか目につくようになってきましたね。


筆者が特に気になったのは、ヒロインのお母ちゃん・優子さんの性格。本当にあきれるくらいのお人よしですよね。なかでも長男への甘すぎる態度には、ドラマとわかっていてもイライラを募らせている人は多いでしょう。働かずにブラブラしていることをとがめないばかりか、嘘くさいもうけ話に引っ掛かった彼のために借金までして大金を工面してしまうとは! 筆者は予想を上回るこの甘々ぶりに気が遠くなりそうでした。

ネット上では優子さんが甘すぎる理由がいろいろと考察されていますが、彼女やヒロインと同じ沖縄県出身の筆者は、優子さんの人格形成には「戦争」が深く関係しているのではないかと考えています。

 


お母ちゃんの「甘さ」は地獄を見た証拠

『ちむどんどん』の母親はなぜ息子に甘すぎる? 本土復帰50周年に考える「沖縄戦体験者の心の光景」_img1

米軍提供写真より、沖縄戦の様子。1945年6月3日、沖縄の離島、伊平屋島の海岸に近づく米海軍の上陸用船艇。すでにその前の砲撃で、地上からは噴煙が上がっている。写真:AP/アフロ

ご存じのように太平洋戦争の末期である1945年の3月から6月にかけて、沖縄では地上戦が展開されました。それは、米軍から「ありったけの地獄を集めた」と評されるくらい凄惨なものだったといいます。だからなのか、沖縄戦の体験者は当時のことを積極的には語ろうとしない印象があります。


実際、筆者の祖父母も地上戦を体験しているのですが、「米軍の捕虜になってハワイに行った」「カタツムリを食べて飢えをしのいだ」など、断片的に戦争を振り返ることはあっても肝心の戦闘の様子に触れることはありませんでした。思い出したくなかったのか、つらすぎて記憶を抹消したのか。祖父母がこの世を去った今となっては確かめようがありませんが……。

『ちむどんどん』の母親はなぜ息子に甘すぎる? 本土復帰50周年に考える「沖縄戦体験者の心の光景」_img2

米軍提供写真より、沖縄戦の様子。1945年5月17日、那覇市の北の尾根で戦線を張る米海兵隊。写真:AP/アフロ

『ちむどんどん』の優子さんは筆者の祖父母と同じ世代。しかも、激戦が繰り広げられた那覇の出身ということは、相当な地獄を体験したと思います。仮に戦闘に巻き込まれなかったとしても、多くの親族や友人を失っているはず。子どもたちが寝静まった後、彼女が戦争を思い出してうなだれるシーンがありましたが、それがすべてを物語っていたのではないでしょうか。そうやって子どもたちに戦争の傷跡を見せようとしないのも、筆者には祖父母の姿と重なってとてもリアルに感じられました。

 
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