50代半ばで若年性アルツハイマーになった、元脳外科医で東大教授の若井晋さんは、2021年2月にこの世を去りました。晋さんの妻・若井克子さんは、著書『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の中で、認知症によって地位と、知識と、そして言葉を失った夫との歩みを、最期のときまで克明に描いています。認知症介護は、よく「地獄」という言葉で表現されることもありますが、本当にそうなのでしょうか? 著者の若井克子さん、そして取材に同席いただいた長男の真也さんに、晋さんの認知症と歩んだ日々についてお聞きします。

 

若井克子(わかい・かつこ)さん〈写真右〉
香川県生まれ。日本女子大学在学中にキリスト教に入信。卒業後は徳島県の県立高校などで家庭科教諭を務め、1974年、勤務医だった若井晋と結婚する。99年に夫が東京大学の教授に着任するが、若年性アルツハイマー病とそれにともなう体調不良により、2006年に早期退職。以降は、認知症の当事者とその家族として各地で公演活動を行いながら、2021年に夫が永眠するまでサポートを続けた。

若井晋(わかい・すすむ)さん〈写真左〉
群馬県生まれ。東京大学医学部卒業後、内科勤務ののち、脳外科医を専門に。台湾や国内の病院で脳外科医、脳外科講師を務め、東京大学の教授に着任。2008年に自身がアルツハイマー病であることを公表。2021年2月10日に逝去。享年74。

 

寝たきりになって、ほっとした


ーー認知症の発症からずっと、克子さんは晋さんの側で支えてこられましたよね。晋さんが寝たきりになったときも自宅介護を選ばれたそうですが、「自分に介護できるだろうか」という不安はありませんでしたか。

若井克子さん(以下、克子) あんまり不安はなかったですね。今思えばですけどね。当時はあったかもしれないけど。なんというか、寝たきりになってほっとしたところはあるんです。寝たきりになる前は、いわゆる「徘徊」が多かったですからね。しょっちゅう、家を飛び出していっちゃうの。でもね、大体帰ってくるんです。昔から方向感覚はいいんですよ。

ーー大体は帰って来られるとはいえ、ご家族としてはやはり気が気ではないですよね。

若井真也さん(以下、真也) だから、父の携帯にGPSをつけたんです。

克子 大体の位置がわかるから、そこを目がけて車でぐるぐる回っていれば、どこかで出会えましたね。ただ、いつもうまくいくとは限らなくて。ある日家を飛び出したとき、GPSを確認したら、自宅近くの国道をまっすぐ歩いているのが確認できたんですけど。どこまで行っても見つからないの。もう一度GPSを見たんだけど、田んぼの真ん中に“ここ”っていう印が出ていて。夜だったし、目印がないから車じゃ行けなくて。しょうがないから、途中で警察に寄って届け出を出したんです。

――そのときは無事、警察に保護されたんですか?

克子 それがね、家に帰ってきたら、いたのよ(笑)。「なんで!?」って思ったんだけど、本人を責められないですからね。「どうやって帰ってきたの?」って聞いたんです。そうしたら「ヒッチハイクで帰ってきたよ」って。

――ヒッチハイクですか!

克子 本当だか嘘だかわからないなと思いましたけど、ヒッチハイクだってなんだって、帰ってきてくれたらまあいいやって。そんなこともありましたよね。「どこ行ってたのよ、探してたのに!」って、言ってしまうこともあったんですけど、そう言ったってね、本人は笑ってるんだもの。もうしょうがないですよね。