排除するつもりはなくても……


また、「マイクロアグレッション」という概念も、注目されています。
これは、「PC」の一部と言えそうですが、あからさまな差別ではないけれど、マイノリティに対して、相手のアイデンティティや尊厳を傷つけてしまうこと。
例えば、「ハーフ(ダブル)なんだね! 美人で羨ましい」といった好意的な言葉であっても、「あなたはマイノリティだ」「私とあなたは違う」と線を引くこととなり、時に、相手の尊厳を傷つけてしまうこともあるのだとか。

マジョリティかマイノリティか、でなくても、知らず知らず傷つけたり傷つけられたりしてしまうのは、ある程度避けられないことだと思いますが、だからこそ、せめて自分の感覚や言葉にフィードバックできるアンテナを立てていたいと思っています。

 

そんな中、「普通」「当たり前」などのように、つい使ってしまうけど、気をつけなくては、と思っている言葉をいくつか。

「人並みに」
自分に使うことが多いと思うのですが、これも、人並みか、そうでないか、と線引きすることにつながるな、と感じます。

「〜らしく」
女の子らしく、男の子らしく、よりも、その人らしくが一番と思っているはずなのに、女の子の言葉づかいが雑だと気になっててしまうから厄介です。もちろん言葉づかいに関しては男性も気になるのですが、「女の子なのに……」と思ってしまうのは、気をつけたいな、と。

「〜主義」「〜派」
軽い気持ちで良く使っていましたが、そうでない人を排除しているに等しいな、と気づき、気をつけています。

「絶対」
絶対大丈夫、と励ます時は良いかもしれませんが、例えば、「絶対こっちの方がいいよ!」といった前向きな意味でも、相手は別の方が良いと思っているかもしれない。その場合、相手の気持ちや考えを無視してしまうことになるかも……。決めつけ感が強い言葉なので、想像力を働かせないといけないな、と感じます。

「〜の方が」「〜よりも」
絶対、の例にもあるように、内容以前に、比較する時点で片方を貶めることになってしまう。分かっているのに、これもついつい……。

「〜べき」
つい、自分の経験から断定してしまうけど、人が違えば、「正解」も「幸せ」も違うはず。

自分も少なからず苦しんだはずなのに、いつの間にか慣れたり染み付いたりしてしまっている、「普通」や「当たり前」、「常識」や思い込み、ステレオタイプなものの見方。
「当たり前」を健全に疑うことや、違和感を抱いたら「おかしい」と声を上げること、同時に自分は大丈夫かと問い続けること。
エネルギーも勇気もいりますが、「ワガママ」に生きたい、と思っている分、自分以外のみんなも少しでも「あるがまま」でいられるように配慮することは、とても大切なことだと感じています。

第1回「「寒い」「疲れた」...我慢は他人のためならず。40代からはワガママになろう!」>>

 
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