皆さま、こんにちは。
6月もあと1週間で終わり。あと1週間で今年の半分が終わってしまうということですね。あぁ、早い。
さて、今日は梅雨どきの湿気やモヤモヤした気分を吹き飛ばしてしまうくらいエネルギーにあふれた、私が尊敬する柔道家二人をご紹介します。
佐々木伸次朗さん

中野真太郎さん

学年は私より1つ下の、佐々木伸次朗さんと中野真太郎さん。二人とも高校から全日本強化選手になり、大学、実業団と活躍。オリンピックこそ出場しなかったものの、国内外で活躍した選手です。
私が彼らを尊敬するのは、選手時代の戦績や努力する姿はもちろんのこと、競技引退後のチャレンジがものすごいから。
佐々木さんは2008年、中野さんは2009年に競技を引退し、それぞれ渡米。言葉の壁にぶつかったり、だまされたり(!)しながらも高い志をもって挑戦しつづけ、現在は自身の名を冠した道場を経営しています。
行動力とエネルギーに満ちたお二人を、今回から3回にわたってご紹介させてください。
柔道も性格も正反対。それぞれの思いを胸にアメリカへ
――今日は忙しいところありがとうございます!二人は同い年で同じ階級のライバルだったんですよね。インターハイでも対戦したとか。
佐々木:そうです。高校から実業団まで、現役時代はバッチバチのライバル心むき出しでしたね。
中野:だから試合や合宿で会っても話したことはありませんでした。柔道も性格もまったく違うタイプですね。
佐々木:インターハイは僕と真太郎が優勝候補だったんです。「中野真太郎とだけはやりたくない」と思っていたら1回戦で対戦して、僕が負けました。当然真太郎が優勝すると思ったら、こいつ決勝戦で負けやがって!
中野:そうそう、決勝ではそれまで負けたことがない相手になぜか負けてしまいました。佐々木戦で力を使い果たしたからかな!

――その二人がそれぞれアメリカに来たわけですが、なぜアメリカに行こうと思ったのですか?
佐々木:直感です。オリンピックを目指していましたが、試合で負けて引退を決意したとき、頭の中が空っぽになって。ふと高校生の時にアメリカへ遠征に行ったのを思い出して、直感で、「よし、アメリカに行こう」と思いました。
中野:僕は、従妹が海外に住んでいたことで小さいころから海外への憧れがありました。そして、柔道を引退したあとの人生を想像して、ワクワクしなかったことも理由です。自分にしかできない人生にしようと思ったんです。


――アメリカに渡って柔道の指導者になる、道場を開くという目標は当初からあったのですか?
佐々木:両方ともまったくありませんでした(笑)。アメリカで生きていくためにどうしたらいいかと試行錯誤していたら、僕から柔道は切り離せないものだとわかって。その流れで指導者になっていき、気づいたら道場を開いていました。
中野:渡米するにあたり、サンノゼ州立大学の柔道部コーチに就任しました。そこで指導をしていくうちに多くの人たちとつながり、さらにたくさんのチャンスが生まれ、自分の柔道アカデミーを持つことになりました。渡米当初は、自分のアカデミーを持つなんてまったく想像していなかったですね。

――あなたにとって、佐々木伸次朗/中野真太郎はどんな存在ですか?
佐々木:好敵手(ライバル)と書いて「とも」。アスリート時代は話したことはなかったけれど切磋琢磨し合った相手、アメリカではなんでも相談できる相手。不思議な存在です。
中野:素晴らしい同志ですね。そして昔も今もお互いを高め合える存在です。
ライバル心から話したこともなかった二人がそれぞれの思いを胸に海を渡り、異国の地で唯一無二の同志に。ドラマを感じずにはいられません。
話しているだけでこちらも元気になってくるくらい、エネルギーと希望に満ちた彼ら。次回は、佐々木さんについて詳しくご紹介します。よろしければ、来週火曜日にのぞいてみてください!
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