言いそびれた言の葉たち。いつしかそれは「優しい嘘」にかたちを変える。

これは人生のささやかな秘密の、オムニバス・ストーリー。

これまでの話咲月(36)は、羽田空港のグランドスタッフ16年目、1人暮らし。コロナ禍で給与3割カット、苦しい2年を過ごすが、ようやく回復の兆しが見えてくる。そんなある日、大阪行きのフライト全便に予約を入れて、直前でキャンセルする男を予約リストで発見。落としたスマホを取りにきたその男「秋野 律」を見かけた咲月は、休憩時間をいいことに後を追ってコーヒーショップに入るが……?
 


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愉快犯か、「特別な事情」のお客様か?

 

――見たところ今は一人だけど、同行者予約の女性もいたよね。もしかして待ち合わせで、空港に相手が来ないとか?

咲月はアイスラテとワッフルに集中するふりをしながら、一つ空けて隣の席に座っている「秋野 律」を横目に観察していた。

彼はアイスコーヒーを一気に飲み干してから、ぐったりと目を閉じ、しばらく動かない。とても「羽田空港で彼女と週末旅行の待ち合わせをしている彼氏」には見えなかった。

――やっぱり仕事なのかな? それともまさか航空会社に嫌がらせ? でもそれならわざわざ空港に来ないよね。次の伊丹行きはあと30分後だから、もう少ししたらまたキャンセルする気かも。迷惑だなあ、満席だからキャンセル出たらスタンバイのお客様を吸い上げないとならないのに! いらない席なら直前までひっぱらないで、すぐにリリースしてよね。

むしゃむしゃと5分で二つ目のワッフルを食べながら、咲月は八つ当たりしたい気分になる。グランドスタッフは本気を出すと超高速で食べることができる。何せ休憩時間が吹っ飛ぶのは日常茶飯事、食べられる時に食べられるものを大量に食べる技が身に付いている。

1日に1回しかない1時間弱の休憩は貴重で、普段ならば早い夕飯を食べることが多い。何か特別な事情があることを期待して、「秋野 律」についてきてしまったが、どうせ休憩で何か食べるならばレストランに行けば良かったと思った。

――んもう、ワッフルじゃ食べた気がしないわ! パスタも頼んじゃおう。

咲月がそう決意してバッグに手を伸ばしたとき、「秋野 律」がなんと一瞬早く、こちらをくるりと向いて、声をかけてきた。

「あのう、すみません……航空会社の方ですよね? ちょっと伺ってもいいですか?」