ついに来てしまった。とぐろを巻いた蛇のような行列に並びながら、僕の膝はわななくように震えていた。蛇の道を行けば界王様の星があるように、この行列の先には推しがいる。ちょっとね、事実の情報量が多い。今、推しが吐いた二酸化炭素がめぐりめぐって僕が吸引する可能性があるってこと? 何それほとんどマウストゥマウスやん。と思ったところで、心肺が停止した。ここが救命病棟なら江口洋介が「戻ってこい!」っつって心臓マッサージをするレベル。

なぜ僕はこんなところに来てしまったのか。ほとんど恨めしい気持ちになりながら、事の発端を思い出していた。

僕は世に言うオタクである。生息地域は、主に若手俳優とフィギュアスケート。暇があればテレビドラマにキャッキャし、推しが出るとあらば全力で舞台のチケットを取り、冬になるとスケートの試合を生きるよすがにする。「××ビル 4F」と住所に書いていると「4階」と読むより先に「4回転フリップ」と読んでしまうし、電車の中で手持ち無沙汰になると、つい両足のつまさきを180度開いて「イーグル」をしてしまう。そんなゴリゴリのオタクライフを楽しんでいたわけですが、基本的に「これはやらない」と決めていたことがあった。

それが、接触を伴う現場に行くことです。と言うのも、当方、認知されたくないオタク。自分のような下民が推しのダイヤモンドアイズに映るなんて畏れ多すぎて、これが鎌倉時代なら即座に首をはねさせるレベル。その低すぎる自尊心から、これまで握手会とかチェキ会とか、そういう類の催しは頑なに避けてきた。

 

今回もそのつもりだった。推しのスケーターが、イベントをやると言う。ふらりとタイムラインに流れてきたそのニュースに、僕はカエルアンコウが小魚を捕食するとの同じくらいの俊敏さでチケットをゲットした。そう、「ステージ後に選手お一人と写真が撮れます」という説明などまるで見もしないで。

昔からそういうところがある。とにかく細かい文字を読むのが苦手で、家電を買っても説明書に目を通した試しがない。おかげで買った洗濯機は、洗剤の投入口があることを知らず、4年くらい直接洗剤をぶっかけていた。そういうことは早めに言ってほしい。

 

その日も僕はイベントを楽しんで、そのまま帰るつもりだった。すると、終演後、撮影会があるので整理番号順にお並びくださいという旨のアナウンスが流れた。撮影会……? そんなものあるの……? よく見たら上手(かみて)の方にセッティングされているわ、会見のときによくある市松模様のパネルが。ははーん、そういうことね。と、終盤に差し掛かってきてようやく本イベントの趣旨を理解した。

確かに周りのみなさんもずいぶん盛装だなあとは思っていた。でも、それは推しの現場ですもの。いちばん素敵な自分でありたい気持ちは同じオタクとしてよくわかる。なんなら僕もおろしたてのヴィヴィアンで来ましたし。けど、まさか推しとツーショを撮るとは思っていなかった。なんならめっちゃ張り切ってきた子みたいで、自分のいでたちが恥ずかしく思えてきた。

この時点で、とるべき選択肢は2つ。観念して撮影会に参加するか、そっとこの場から立ち去るか、だ。後者の選択肢も正直だいぶ頭によぎった。アクリル板越しとは言え、推しと並ぶとか想像するだけで羞恥心が爆発しそう。人の形をして帰れる自信がまったくない。

でも一方で、こんな機会、もう二度とないかもしれないという想いも強かった。そうやっていつも言い訳して逃げてばっかりじゃない! どうせ後悔するなら、やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいでしょ! と、心の名言botが僕を叱咤する。そう、やまない雨はないし、明けない夜はないのです。