もう何年も昔のことなのに、受験や就職の夢を見てしまう。特に、苦しかったりうまくいかなかった思い出が何度も夢に出てくる、なんてことありませんか。あんなに一生懸命やったのになんでダメだったんだろう。今では当時のことを割り切っていると思っていても、自分の奥底に残り続けている思いがあるのかもしれません。2巻が8月12日に発売された『ミューズの真髄』(文野紋)は、美大の受験に落ちて数年経っても、美大で絵を描くことをどうしてもあきらめきれずにいる会社員の物語です。

『ミューズの真髄』1 (ビームコミックス)


自分が凡人だなんてこと 痛いほど自覚してる 本当は


五年前に美大の入試に落ち、今は会社員をしている23歳の美優。彼女は合コンに行く途中で、繁華街の線路下にいたホームレスが売るシルバーリングを買います。隣に座ったイケメン・鍋島海里(なべしま かいり)と、そのリングをきっかけに会話がはずみます。

 

帰り際に美優は彼に言われます。

本当はもっと美優ちゃんと話したかった
やっぱ フツーの子と話しててもつまらないもん

 

鍋島さんは久々に出会った「わかってる人」だ。そう思い帰宅すると、母親が合コンメンバーの名刺を見せるように催促してきました。美大に落ちて以来、美優は職場も服装も母親の言いなりで生きてきました。けれども、

母さんは 私をわかってない

美優は、大学生になったら描こうと思っていたキャンバスを今でも捨てられずに部屋にしまっていたのです。彼女は「わかってる人」鍋島さんに出会ったことで、五年ぶりにキャンバスを張り、油絵を描いてみようと思い立ちます。

ところが後日、鍋島さんに体の関係を求めているのだと勘違いされて彼の家で押し倒されてしまうのです。それでも、自分のことを語りはじめる彼女。

 

鍋島さんなら 本当の私
好きになってくれますよね

と伝えると予想外の言葉が返ってきたのでした⋯⋯。
彼の言葉に傷ついて帰宅すると、母親がキャンバスを壊そうとしていました。その様子を見て、自分の本当の心に気づいてしまった美優。

もう一度私に 絵を描かせてください

土下座して母親に頼みこむも、激しく叱りつけられ、平手打ちをされます。

 

美優の母親は、社会からの評価を強く求めている人間でした。
私は母さんのもう一つの人生じゃない。美優は家を出る決断をします。

私がつまらないのは 私のせいだけど
母さんといると私は私をつまんなくしちゃうんだよね

家を飛び出した美優は、一人暮らしの物件を探すために降り立った高円寺で、バーを経営する男性・龍円草太(りゅうえん そうた)に声をかけられます。第一印象は「ガラが悪い」彼でしたが、実は優しいのだとわかり、彼に心を開いて「本当の話」をする美優。

 

草太の絵を描くことを通じ、自分はそんなに絵が上手くないのだと美優はあらためて自覚し「もっと絵が上手くなりたい」と、美術予備校に通うことに決めます。ここから彼女の人生が再び息を吹き返すのです。

昔から、周囲から下に見られているのを感じて生きてきた美優。彼女は、リュックのファスナーが開いたままだと男性に声をかけられやすい、というのを身を持って知っていました。隙がありそうだと見定めされ、ナンパして女の子が断ると、そこではじめて「ファスナー開いてるよ」と注意して恥ずかしい思いをさせるのだそうです。

 

ささいなことだけども、心に傷がつく出来事が重なり続ける日常で、絵を描くことやキャンバスが「自分を守ってくれる盾」になっていったのです。

予備校での日々や鍋島さんとの関係など、キャラが本格的に動き出すのが2巻からという感じ。特に気になるのが、美優が入る美術予備校の女性講師。クセがありそう。1巻ではワンシーンしか登場しないのですが、いかにも今後絡んできそうな予感。しかも美大の2年生、ってことは美優よりも歳下なのかも? 美優のコンプレックスを刺激しそうな存在です。

 

絵を描くのが大好きなのに、美大に落ちたことで「自分は特別」というプライドをぽっきり折られてしまった美優。鍋島さんが彼女のプライドをへし折る存在なのに対し、草太は彼女のプライドを回復させる存在になっています。草太に「絵がうまい」と褒められて回復しても、鍋島さんの一言ですぐにまた折れてしまう⋯⋯。美優は、このやわなプライドを予備校でどうやって強くしていくのでしょうか。自分が「選ばれし者」ではなかったと気づいた時のカッコ悪さは、身に覚えがあってチクチク心が痛くなるのです。

『ミューズの真髄』2 (ビームコミックス) 
 

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『ミューズの真髄』
文野 紋 (著)

美大に落ちたあの日。 “特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。 “凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、 母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。 でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。 新時代を抉る異才が描く、狂おしく歪な初連載、開幕。
 

作者プロフィール
文野 紋

2020年『月刊!スピリッツ』にて商業誌デビュー。2021年9月、『月刊コミックビーム』で『ミューズの真髄』の連載開始。現在も連載中。2022年8月12日、2巻発売。
Twitterアカウント:@bnbnfumiya



(C)文野紋/KADOKAWA
構成/大槻由実子
編集/坂口彩