一方私はというと、将来は生物学系の研究者になりたいという思いから、東大では生物学・化学・物理学を主軸とする「理Ⅱ」の受験を予定していました。しかし、真に目指していたのは海外のMITでした。

ではあるものの、周囲からは「結局、一緒に東大行くんじゃない?」と思われていた……というか、海外の大学に受かると思われていなかったフシがあります。「いやぁ無理やろ、でも頑張れ」という生暖かい空気を感じつつ、私も日々、すべきことと向き合いました。

総じて言えるのは、灘校生の間には世間がイメージするような「必死感」はなかったということです。漫画やドラマに出てくる「進学校の生徒」は、とかく極端で画一的な描かれ方をするものですね。参考書を読みながら道路を歩いていたり、ハチマキを巻いて徹夜で勉強したり、クラスメートとは互いに競争意識むき出しで、教室内が殺伐としていたり。そんなギスギス感は、私たちの間では皆無でした。

解法の裏技をシェアしたり、余裕の出てきた生徒が不安の残る生徒を教えたりしながら、ワイワイと楽しんでいました。センター試験の前日、学校は休みなのに友人数人とわざわざ来て、理科の過去問を囲み、クイズ番組の要領で答え合ったのもいい思い出です。
 

理系と文系という「決めつけ」について

 

さて、「理Ⅱ」や「理Ⅲ」といった言葉が出てきましたが、そもそも日本の教育体系にある「文系と理系」というものを、皆さんはどう思いますか? 「数学が好きだから理系」「語学が好きだから文系」と、なんとなく自分をどちらかに属させていることと思いますが、私はこの分類には意味がない、と思っています。

 

両者の分かれ目は、実は曖昧です。理系の教科では世の中の現象を数式や化学式などで表すことで理解することがメインです。一方で、文系の教科では言語を用いて世の中の流れを理解するという側面が強いです。

もちろん、外国語など暗記が求められるクラスもありますが、物事を理解するという点において、文系科目も理系科目も本質的な学びの姿勢は共通点が多いです。日本の学生は若いうちから文系理系を選ばされてしまうので、「選ばなかったほう」の中にある面白いことに出会えなくなっていてもったいない、と感じます。