帰りの地下鉄はガラ空きだった。シートに座ると、自然と重いため息が出た。自己嫌悪が鉛のように胃の奥に沈んでいく。このしんどさの理由は何なんだろう。泥水を篩にかけるようにしばらく考えていると、濁った頭の中がすーっと透けていって、答えが砂金みたいにぽろりと転がり落ちてくる。
僕は、自分が選ぶのも選ばれるのも苦手なのだ。よく「好きなタイプは?」という質問があるけど、昔からあれにどう答えていいのかわからなかった。それはそんなものはないというのももちろんあるけれど、もっと突きつめていくと、自分ごときがどのツラ下げて……といたたまれない気持ちになるからだ。条件を並べて人を選定していく作業自体がどうしても傲慢に思えてしまうし、そもそも自分なんかが人を選り好みできる立場かとお尻がむず痒くなる。
相手の年齢だって婚姻歴だってこだわりがないのは確かだけど、まったく気にならないかと言ったら嘘かもしれない。でもそこで、この人は年が上だからというふうに、麻雀の牌を切るように人を仕分けていく自分に耐えられないし、そうやって第三者から自分の希望を確認される行為そのものがいかに差別心のない人間かをテストする踏み絵みたいに思えてしまって、そんな試験にかけられている状況に悲鳴が出そうになる。
でもそれが婚活というものだし、そもそも恋愛だって同じだろう。人は、選ぶし選ばれる。直感的な第一印象から始まって、話題の選択、会話のリズム、笑い方、箸の持ち方、爪の長さ、店員への態度、会計のタイミング、いろんなジャッジポイントを通過するごとに細かく点数化し、最終的に合うか合わないか評価を下す。それ自体は、きっと正しい。でも自分がその俎上に乗るのも人を乗せるのも、もううんざりなのだ。
そう思うのも、結局のところ自分に自信がないからかもしれない。市場に出たときに、いかに自分に商品価値がないかを突きつけられるのが嫌で、好みのタイプはないなんてフラットを気取ることで予防線を引いているのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、最寄駅に着いた。改札を抜けると、たくさんのカップルや家族がいて。みんな、ちゃんと選んで選ばれて生活をしている。その当たり前のことがどうして僕はできないんだろう。そう思いながら、ヨリエさんに持たされた紙袋に目を落とすと、パンフレットの表紙を飾る新郎新婦が、溌剌とした笑顔でこちらを見つめていた。
構成/山崎 恵
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